手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

第1回 なかった戦時プロパガンダの南京事件

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みなさん、こんにちは。私の名は、最門司さくらです。レッスン、「キャンセルされた歴史をもとに戻す」の講師です。第一回は、戦時プロパガンダ南京事件1です。一回

 

当たりの授業は約5分、4回に分けて授業をします。それでは始めます。かつて日本は、蒋介石の国民党政府と、つまり今の台湾の野党国民党が、シナ大陸にいたころ、戦争をしたことがあります。

内戦状態でしたので、国といえるかどうか疑問ですが、中華人民共和国の前の国です。欧米の都合で国際連盟に加盟していました。

これをシナ事変、日中戦争ともいいます。支那事変は日本が始めた戦争と言うことにされていますが、これもフェイクで、詳しくは第5回支那事変でお話しします。もちろん日本国民も中国国民も戦争は望んでいませんでした。

日本軍が敵の首都南京を陥落させた後、昭和12年、1937年12月13日から翌年2月初めまでの約6週間の間に、日本軍が国際法に違反して、また組織的に市民30万にんを虐殺したと、今の中国共産党政府が、朝日新聞などと一緒になって、世界中に政治宣伝をしたことがあります。

最も盛んに宣伝していた時期は、平成27年頃です。しかし、日本にはこれを記述する教科書と記述しない教科書があります。

記述しない自由社の歴史教科書は、すでに朝日新聞がうそ報道を謝罪した従軍慰安婦同様、この事件も歴史的事実ではないと考えているからです。

それではなぜほかの教科書に載っているのでしょうか。その根拠は、次の3つです。1. 外務省のホームページ 2. 偕行社の南京戦史 3.東京裁判資料です。基本的な理由は、日本は侵略をした悪い国だと信じ込ませるためにも、南京大虐殺があった方が都合がよいからでしょう。

外務省のホームページには、日本語と英文で次のように書かれています。しかし、ある教科書に記述されている「女性や子供など、一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しましたは、この外務省のホームページには全くありません。

外務省は、東京裁判を承認せざるを得ないので、南京事件は、なかったと言えないのです。もちろん事実ではないことを事実だと書くこともできません。

ですから、なかったとはいえないという表現になっているのです。

偕行社の南京戦史は、その後正確ではないとして、平成24年8月の「偕行特別号で、南京事件は、中国の戦時プロパガンダであったと訂正されています。

これは偕行社のホームページです。

東京裁判では、当時の中華民国は、日本軍は多くの市民を虐殺したと訴えました。ところがこの訴えはすべて伝聞証言でした。

その中に東京書籍の教科書が記述している、女性や子供など、一般の人々や捕虜を含む、多数の中国人を殺害しましたという多くの伝聞証言がありました。

刑事事件の裁判では、伝聞証言は証拠として採用されませんが、この東京裁判では、特別に伝聞証言が証拠として採用されたのです。

つまり、私はAさんから聞いたのですが、日本軍は、女性や子供など一般の人々や、捕虜を含む多数の中国人を殺害したそうです。

東京裁判ではこのように、聞いただけの話でも証拠になりました。ヒドイ裁判ですが戦争に負けたので何も言えません。

当時の南京攻略戦の司令官の松井石根大将は、捕虜及び一般人に対する、条約尊守の責任無視による戦争放棄違反という罪だけで、絞首刑になってしまいました。

蒋介石に恨まれた、松井大将を絞首刑にするために、作られた中国人虐殺の話であることは明らかです。

それでは実際の当時の南京市内の様子はどうだったのでしょうか。

続きは第2回です。それではみなさん、さようなら。またお会いしましょう。