手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

「大人が知らない教科書の違い」【手奇塾】 学び舎は南京以外に「日清戦争旅順大虐殺も教える


「大人が知らない教科書の違い」【手奇塾】学び舎は南京以外に「日清戦争旅順大虐殺も教える

 学び舎は、195Pに1894年12月6日の「旅順虐殺の時事新報のスケッチ画を載せています。これも731部隊南京事件同様、日本は侵略した、日本は悪いことをしたという、政治宣伝(プロパガンダ)です。証拠の写真がないのでしょうか、スケッチ画です。この日清戦争には内外の通信員も同行していました。支那事変の南京攻略戦も同様です。彼ら記者たちも旅順戦をその目で見ていたはずです。タイムス戦地通信員やジャパン・メールの記者たちです。実は南京戦も同じで、支那の兵士は、退却する時、兵服を脱いで、一般人に紛れて逃げるそうです。一般人のように見える死体が多かったのですが、死体の中には腰に弾薬入れを帯びているもの、軍靴を履いているもの、服の下に軍靴を隠しているものあったそうです。学び舎の「旅順虐殺」とはこれらのことを言っています。平服をどうやって清国兵は、手に入れるのか。答えは言うまでもありません。学者を同行させて、国際法を常に意識して戦争をした日本軍です。外国の軍隊を、日本軍のように、軍律厳しい軍隊と同じと考えると、こういうことは理解ができません。

「さくらの憂国日記」【手奇塾】国民に知らせず作った憲法が、国民主権を謳う


「最門司さくらの憂国日記」国民に知らせず作った憲法が、国民主権を謳う。

笑いごとではありません。アメリカでは、日本の憲法は、アメリカが作ったというのが常識のようです。

しかし、日本国憲法は、それよりももっと深刻な問題を抱えていますが、いまだに国民には、隠されたままです。憲法の成立そのものに問題があることを、国民は知らされていませんし、学校でも教えません。マスコミも固く口を閉ざしたままです。

 あの美濃部達吉でさえ、大正デモクラシーを復活すれば、ポツダム宣言の要求に応えられるとして、日本国憲法に反対したくらいです。現憲法の成立過程は、このように疑わしいものでした。

「おとなが知らない各社教科書」日露戦争 宮古島 久松五勇士 男だよー♬ 明石元二郎大佐


「大人が知らない教科書の違い」日露戦争 宮古島 久松五勇士 男だよー♬ 明石元二郎大佐

沖の煙はロシアぶね、早く知らせににゃ、祖国危うし、これは今でも宮古島で唄いつがれています、久松五勇士をたたえる「黒潮の闘魂の歌詞です。日本が負けたらロシアや西洋に支配されるという危機意識が一般の人々にもありました。学び舎には、書かれていませんが、自由社は、195ページで「日露戦争は、日本の生き残りをかけた戦争だった」と記述しています。また自由社は、バルチック艦隊と遭遇したことを、石垣島まで知らせに、サバニを漕いだ、宮古島の5人の青年をたたえる、久松五勇士を紹介しています。この歌は、久松五勇士の踊りの時歌われます。

 日露戦争のときもそうでした。ロシアは東清鉄道を建設し、旅順に要塞を築き、朝鮮半島にも軍事基地を建設したのです。この目的は日本征服以外ありません。ウラジオストークの意味は東方を征服せよという意味です。学び舎も東京書籍もこのようなことは決して教えません。

 レーニンなどの革命勢力に、武器や金を与へ、支援したのが、日本陸軍から、ロシアの後方を攪乱せよ、と命ぜられた、明石元二郎大佐でした。ヨーロッパ諸国を舞台に、イギリスやアメリカの諜報機関、顔負けの活躍をしたそうです。

 

「最門司さくらの憂国日記」日本学術会議とGHQ & 憲法・財政法第4条


「最門司さくらの憂国日記」GHQと日本学術会議・憲法・財政法4条

最門司桜の憂国日記、今回は「GHQ日本学術会議憲法・財政法4条です。いづれも日本が、二度と立ち上がれないようにするため、日本を縛ったQHQ手作りの足かせです。SNSも、マスコミも、衆院内閣委員会も、日本学術会議の話題で持ちきりです。Twitter上に、日本学術会議への人事介入に抗議するという、ハッシュタグがありました。7日のアサヒ新聞電子版も「学問の自由掘り崩すのか」学術会議問題、広がる抗議と、いつものように政府批判を強めています。みなさんご存知の通り、事の発端は、菅首相が、日本学術会議が推薦した、新会員候補6人を任命しなかったことです。会員は210人。任期は6年で、3年ごとに半数が交代することになっています。会員のほかに、準会員約2千人がいて、こちらは会長が任命するそうです。当初は、国内のほぼすべての理経、文系の研究者による選挙で選ばれ、「学者の国会」とも呼ばれたそうです。しかし、その後選挙ではなく、会員による推薦に基づいて、105人の新会員を選び、首相が任命する形式的な選任方式になったそうです。ところが今回菅首相は、前例を踏襲せずに、105人の内6人の任命を拒否したわけです。ここを朝日や共産党立憲民主党などが問題視しているわけです。

 しかし、この問題は、整理しますと次の点が浮かび上がってきます。

1. 首相の任命権は、形式的なものか、または推薦の通り任命しなくてもよいかの法律問題

2. 軍事研究を禁止しておいて、中国との科学技術協力には積極的でよいのかの対中政策との整合性 

3. 日本学術会議は、仕事に見合う報酬を得ているかというお金、公金支出の問題

日本学術会議日本国憲法GHQによってつくらされたのですから、戦争反対なのです。

法律から、そして科学技術の面から二度と日本が戦争をできなくしたのです。戦争をするには赤字国債を発行しなければなりませんから、赤字国債発行を禁止します。この戦争反対は、財政法だ第4条です。つまり戦後連合国は、法的側面と化学技術的側面、財政的側面から日本を二度と戦争できない国にしたのです。もちろんこのGHQの方針は朝鮮戦争によって180度変わるわけですが、すでにてにいれた既得権益を手放したくない人たちは、GHQの方針が変わらなかったように今でもふるまっているわけです。

2020年9月、米下院共和党議員15人からなる政策提言組織「チャイナ、タスク、フォース」は、430の政策提言を作成し、政府および主要業界に対して対中政策の強化を訴えました。

このなかでも、米大学や一流の研究機関の、機密性の高い研究の保護を強化するため、連邦政府のすべての職員を含む、公的関係者に、外国の人材プログラムへの参加を、制限させる必要性も提言しています。今回の日本学術会議の騒動も日本版チャイナ・タスク・フォースの始まりで、ついに緩んだネジを締め直しはじめたと言えるのではないでしょうか。

 


【手奇塾】「大人が知らない教科書の違い」満州国を侵略したのは中国だ それを隠すために「日本が満洲を侵略した」

満洲が、ジュシェン族、後のマンジュ族にとって、神聖な都市であることを、前回お話ししました。そして、国際連盟から中国を代表するとされていた、国民政府の蒋介石が、一度も満洲に足を踏み入れたことはなく、言葉も通じなかったこと。満洲を支配する張学良の軍隊が、満州事変によって消滅し、その支配権は、300万人の満洲人に戻り、清朝の最後の皇帝溥儀を元首に、故郷で独立宣言したにすぎないことをお話ししました。

あの時、英米が賢く振る舞い、日本と協調していたら、また日本も賢く振る舞い、英米と協調していたら、チャーズの地獄もなく、満州国満州人も平和で、原爆も落ちなかったと考えることはできないでしょうか。日本が間違いを犯したとすれば、それは満州の権益、を独り占めにしようとしたことです。後知恵ですが、英米も入れてもよかったのではないでしょうか。

今から考えると、アメリカが強く反対して、20年続いた日英同盟を解消させ、日本を孤立させて、さらに連盟をも脱退させたとしたら、アメリカの戦略に、日本は負けたとしか言いようがありません。アメリカの真意は、やはりヨーロパ人には自然に伝わるのでしょう。先ほどのジョージ・ブロンソンは、1937年の盧溝橋事件より前に、すでにヨーロッパでは、日米戦争が噂になっていて、各国は結果を予測し、外交と経済政策を立てていると書いています。ヨーロッパ諸国は、次は日米戦であると、予測していたのです。予測できなかったのは、松岡ようすけ達、日本の外務省だったのかもしれません。

 

【手奇塾】満洲事変を一番喜んだのは満洲人300万人


【手奇塾】「満洲事変 一番喜んだのは満州人300万人」

みなさんは、満州という国がかつてあったことを学校で習いましたか。

蒋介石は、一度も満洲に足を踏み入れたことはなく、言葉も通じなかったのです。満洲を支配する張学良の軍隊が消滅して、その支配権は、300万人の満洲人に戻り、清朝の最後の皇帝溥儀を元首に、故郷で独立宣言したにすぎません。清朝から独立した孫文漢民族はよくて、満洲人は独立してはいけないのでしょうか?

満州とは、清帝国を建国した満州人(女真ジュシェン族、後に満洲マンジュ族と改める)の故郷の地です。満洲は、満州人の神聖な土地で、清の時代は、厳しい移民法令を定めて、漢民族満州への立ち入りを禁止しました。立ち入ると死刑でした。さらに満州人と漢人の婚姻を禁止し、最後の皇帝が退位する数年前までこの禁制は続いていました。しかし、ユウーチューブの動画や教科書、マスコミは、満州国は、日本の傀儡国家だとか、満州事変は関東軍の暴走だったといっています。これは中国のいっていることと全く同じです。満州事変後の満州建国を一番喜んだのが満州人と言われています。自分たちの国ができたのです。これはイスラエルがやはり自分たちの国ができたことを喜んだのと一緒です。日本が後押しして建国をし、バチカン他20カ国に承認された国家でした。しかし、満州人の運命は悲惨でした。中国の占領後、チベットウイグル内モンゴル同様、満州語を禁止され、同化政策によりもはや満州語を話せる満州人は、今は一人もいないといわれています。これを民を洗うと書いて中国語で洗民と言います。

 今回は、誤解されています、満州事変について2回に分けて詳しくお話しします。前編はなぜ満州事変が起きたのかです。後編は満州国の発展と滅亡です。

 今の中国は、満州を東北地方と言っています。これは外務省のホームページで中国の反日記念日です。この中に9月18日満州事変(柳条湖事件)があります。もともと中国の土地で起こった事件ではないのですが、満州国を滅ぼし、自国領にしたものですから満州事変を反日記念日にしているのです。もちろん12月13日の「南京大虐殺」なんてありえない歴史の改竄です。韓国同様中国共産党反日が国是です。

 中国は、辛亥革命が起こり、孫文が指導者ということになりました。清朝の最後の皇帝溥儀は、協定を結んでから退位しました。協定とは、故郷である満州を西洋でいう「王領」、つまり「封禁の地」とし、そうした清国の権利を明記し、確認した退位協定が中国の根本法となったのです。しかし、中国人は、この協定を守りませんでした。国際仲裁裁判所の決定を紙屑という人たちです。

つまり協定を守ると満州人の満州支配を認めることになります。辛亥革命のときの漢人による満州人の虐殺行為は、1週間続いたといわれています。

 学び舎にはなぜか「満州事変」の見出しではなく「満鉄の線路を爆破」の見出しになっています。大見出しは、「鉄道爆破から始まった、日本の中国侵略」です。小見出しも「満鉄の線路を爆破」と「国際連盟からの脱退」で、2ページの記述です。満州と中国の国境線はなく全部中国の色に塗られています。つまり学び舎は、満州は、中国の領土だといっています。

これに対し自由社は、きちんと国境線を引き、「中国の排日運動と協調外交の挫折」、そして「満州事変と満州国建国」の大見出しで4ページにわたって記述しています。

学び舎は、231ページ側注で「多くはこのように現地農民の土地を買収したり、土地から追い出したりして、日本人を入植させるものだった。」と記述しています。これを読むと満州の土地は中国人のもので、それを日本が奪ったということになります。いままでのお話でそうではないことはお分かりになると思います。

自由社228Pは次のように記述しています。「日本が年号を昭和と改めたころ、中国では、各地に私兵をかかえた軍閥が群雄割拠していた。」1925年ころです。満州もそうでした。匪賊の頭領のような人物、張作霖が日本の後押しで軍閥の親分になっていました。
また、229Pでは「昭和初期の満州にはすでに20万人以上の日本人が住んでいました。その保護と、関東州および満鉄を警備するため、1万人の陸軍部隊(関東軍)が駐屯していた」と記述しています。関東州とは、遼東半島の南部で満州ではありません。日清戦争で清から割譲を受けた大連港、旅順港などの軍港があります。三国干渉で一度清国に返しますが、ロシアが進出し、旅順に要塞を築きます。日露戦争後今度は、日本が清から租借した土地です。日露戦争の時、清は、ロシアと同盟を秘密裏に結んでいましたが、日本側は知りませんでした。敵国ですから戦後清に賠償金を求めてもよかったのです。

満州だけではありません。当時すでにアメリカにもハワイにもブラジルにも多くの日本人が移住していました。

人口構成が圧倒的に支那人が多くなるとその土地の支配権は支那人に移ります。満州も同じでした。今の北海道のいくつかの土地がそうです。カナダやオーストラリアもそうではないでしょうか。

しかし、もともと満州は、満州人以外は立ち入を禁止されていた神聖な土地だったのです。

清朝が安定していた時代は、漢人も入れず、満州の地も平和でした。しかし清朝が衰え、ロシアが南下してくると治安は乱れます。もともと満州人にやとわれた小作人として働いていた漢人が、土地を奪うようになります。満州にロシア人のほかに漢人の難民や匪賊も流れ込んできます。日露戦争後、山東出身の匪賊の頭領のような人物が、日本を後ろ盾に満州をしだいに支配するようになります。張作霖です。私兵を雇い、逆らうものは見せしめに皆殺しです。前にお話ししましたが、辛亥革命のときの漢人による満州人の虐殺行為は、1週間続いたといわれています。このときの恐怖を知っている満州人は、張作霖から、どんな重税を課せられてもにさからうことはできなかったのです。長親子は、70憶ドルもの金の準備がない不換紙幣を発行し、住民から生産物を取り上げ、阿片の栽培と売買で軍隊を養っていました。長親子と満鉄は、互いに利用しあう関係になります。

 このような記述は教科書にはありません。中国がいやがるからでしようか?それとも文科省が忖度しているのでしょうか?そうあの近隣諸国条項です。

昭和2年ころは北京に進出した張作霖蒋介石は敵対関係にありました。このような中、日本軍から勧告されて張作霖満州への帰途列車ごと爆殺されます。どの教科書も日本の関東軍の仕業ということになっています。ソ連崩壊後に公開された旧ソ連の外交文書には、ソ連の工作であったと書かれているそうです。コミンテルンにとって張作霖は邪魔だったのでしょうか?張作霖と対立していた蒋介石は、息子をソ連に人質同然に差し出していました。張作霖は、日本に恩義があります。

ソ連から見れば張作霖よりも蒋介石が扱いやすかったのでしょうか。
 そして1930年に息子の張学良が、北京に進撃して首都とし、南京の蒋介石政権と支邦を名目上2分しました。外国の列強に対しては南京の蒋介石政権を承認政府としましたが、満洲蒋介石政権の支配下に入ったことはありません。張学良は蒋介石の部下ではなく、同等の、支邦を二分する片方の支配者でした。蒋介石は一度も満洲に足を踏み入れたことはなく、言葉も通じなかったのです。英国、米国、ソ連反日活動は、満州で拡大していきます。これら排日運動は、プロテスタントの宣教師達や蒋介石の米国顧問団、米国広告会社が裏で動いていました。日本とJPモルガン商会との南満鉄外債起債交渉は、つぶされてしまいます。蒋介石と対立していた張学良もやがて蒋介石に近づいていきます。いつまでも対立していると父親のようにいつソ連に排除されるかわかりません。満州の安全保障がいよいよ脅かされる状況になってきました。日本も同じです。関東軍は、張学良はソ連と通じているのではと不信感を抱きます。満鉄の列車妨害や日本人へのテロが頻発しますが、日本の外務大臣幣原喜重郎「中国の民族感情にも同情をもってする」と親中外交で、中国の排日運動は収まらなかった。2012年9月の尖閣列島国有化に反対したデモが暴徒化し、日系のスーパー、商店、車が次々襲われました。あれよりも残酷です。

1931年関東軍は、満州の現状を一気に改善しようと張学良の軍隊を追い払います。張学良の軍は15万とも20万ともいわれていましたが各地に分散していましたので、動きの速い関東軍と朝鮮から越境した日本軍、わずか1万4千に各個撃破されてしまいます。これをよろこんだのは満州人でした。満州国が建国されます。満洲国は、満洲語を話す民族300万人が、長親子の軍閥支配から独立して建国した国です。もちろん日本が後押しをしました。自由社230ページの側注にあるように、「1939年の時点で満洲国は、ドイツ、イタリア、スペイン、バチカンなど約20か国から承認されていた。」のです。

さくらの憂国日記【今さらファイブ・アイズへいらっしゃい?】


「最門司さくらの憂国日記」【今さらファイブ・アイズへいらっしゃい?】

 今さら、遅過ぎます。もっと早く、英米が賢く、日本と協調していれば、満州人も、チベット人も、ウイグル人も、モンゴル人も、朝鮮半島も平和だったでしょう。


 日本の新聞や、テレビが報じる記事の中に、それとなくフェイクニュースを潜ませて、世論誘導することは、今や日本だけでなく、世界中で当たり前になっています。SNSの普及とともに、私たちは、知らないうちに偽情報を、あたかも真実であるかのように信じてしまう危険が、毎日のように起きています。
 ある日本の新聞の電子版が、中国で今大激論が起きていると報じていました。それは、日米開戦前の日本の失敗を、中国政府は教訓にすべきだとする、冷静な警告が相次いで二つなされ、大論争を巻き起こしているというものです。この話は、事実かもしれません。
 一つは、日本は、ハワイ真珠湾攻撃によって米、英、フランス、豪、中国、最後はソ連までも同時に敵にした。戦前の日本と今の中国が似た過ちを犯しているから中国は注意すべきだというもの。
 もう一つは、1941年にベトナムカムラン湾など南部仏印に進駐した日本軍の行動が、フィリピンを含む米国の核心的な利益を侵すとみなされた。今の中国の南シナ海の諸位牌はかつての日本の仏印進駐とおなじだというもの。 問題は、新聞記事の次の部分です。1.日本は、ハワイ真珠湾攻撃によって米、英、フランス、豪、中国、最後はソ連までも同時に敵にした。2.最終的に日米開戦の引き金となったのが、日本軍によるインドシナ半島の南部仏印進駐。これを読んだ読者は、1. 日本は、今の中国、英国、米国、フランスそしてソ連とも同時に戦争したんだ。ばかなことをしたものだ、勝てるわけはないのに、と誤解してしまうかもしれません。2は、日米が戦争した直接の原因は、南部フランス領インドシナに進駐したからだと、記事を読んで思い込まされるでしょう。あるいは、学校の歴史で習ったことがある、その通りだと思いだす人がいるかもしれません。これが歴史戦・情報戦の成果です。まんまと戦勝国、連合国側、中国の書いた歴史を、読者は、頭に刷り込まされることになります。真実の文章の中に世論誘導のための偽情報を潜ませて、あたかも全体が真実であるかのように世論を誘導する手法は、今も昔も変わりません。 「大人が知らない教科書の違い」【中国の台頭】と【戦争とスパイ】をご覧になった方はもうお分かりだとおもます。違いますよね。
 日本が支那事変、大東亜戦争を戦っていたとき、中華人民共和国は、まだ存在していませんから、中国と戦っていません。戦ったのは、台湾に逃れたかつての国民党政府です。また、日米開戦の引き金は、日本軍のインドシナ半島の南部仏印進駐などではありませんでした。
次の年表を読めば、そうではないことがわかるでしょう。アメリカは少なくてもその1年前に、日本に戦争を仕掛けているのです。日本軍の隼戦闘機やゼロ戦と、アメリカ空軍カーチスP40の空中戦が、中国ビルマ国境周辺の上空で行われていたのです。この事実があきらかになりますと、日本が、侵略したというストーリーが成り立たなくなります。日本は逆に攻撃されたということになります。事実支那事変(日中戦争)前に多くの罪もない一般の日本人が各地で虐殺されています。満州事変後、排日運動の裏に英米と国民党政府がいて、「中国から満州を奪った敵だ、やっつけろ!」の政治宣伝を叫び、華僑が日本人商店を略奪、破壊しました。マレーの虎で有名なハリマオ(本名谷豊)は、三歳のとき一家でマレー半島南部英領トレンガヌ州に移住して、両親は、理髪店とクリーニング店を経営。豊が徴兵検査で日本に帰国中、広東人の暴徒が風邪で寝ていた7歳の妹の首を斬首。その首を高く掲げて華僑のデモに参加したといわれています。豊は、華僑、英国人に復習を誓ったのです。満州が日本の侵略だといって中国国民党政府は、国際連盟に訴えましたが、列強は満州の日本の権益を認めるとともに、中国の主権を認め、ゆくゆくは英米ソ連満州に権益を持とうとするものでした。詳しくは「大人が知らない教科書の違い」満州国建国でお話ししますが、国際法上何の問題もなく、事実バチカン、ドイツ、イタリア、スペインなど20カ国から満州人の国家満州国は、承認されたのです。何が問題でしょうか。その満州人の国家、満州国を侵略して、満州語を禁じ、東北地方にしたのは今の中国です。さらに内モンゴルチベットウイグルも侵略し、今各民族のことばを禁止しているではないですか。日本は、満州を侵略したというのは自分たちの侵略を隠すため以外、他にありません。
1921年ワシントン会議で、20年続いた日英同盟が、米国の強い意向で廃棄
1927年から1940年にかけて米国は、蒋介石国民党に計4億2千万ドルを援
1931年満州事変
1932年満州国建国 後に独、伊、スペイン、バチカンなど20カ国に承認される。
1936年西安事件 蒋介石監禁される
1937年支那事変
1937年ソ連航空機、武器弾薬を援助
1938年フランス1億5千万フラン借款で支援
1938年 日本国家総動員法成立 日中戦争の長期化によりドイツやソ連のように統制経済を理想
                とする思想が広がっていた。
1939年 英1千万ポンド借款 英国、日本と戦争する意思決定
1939年 日米通商航海条約を延長せず  米国、日本と戦争する意思決定
1940年夏 フライイングタイガーズ派遣。 日本爆撃計画にルーズベルト署名
1940年9月 三国同盟締結 日本軍北部仏印進駐
1941年7月 日本軍による南部仏印進駐 
 日本は、ここでようやくオランダとの石油輸入交渉を有利に運ぶため、オランダに圧力をかけようと、フランス政府の了解のもとに仏印に進駐したのです。英国も米国も日本と戦う決意があり、つまり外交交渉で日本を相手にしていないのです。日本の仏印進駐よりも1年前にもう日米戦争は、始まっていて、日本よ、降伏するか、戦うか、選択せよということです。この年表から、それを読み取れます。
 そもそも日米は、争う必要はありませんでした。日本は、アメリカから石油、航空機用ガソリン、鉄くず、その他を輸入していました。日本は、それらを使った製品と輸入した機械、原材料を支那の政府(軍閥)や満州に輸出していました。ちなみに日本は、現金払いでしたからアメリカからみましたら、いいお客様でした。簡単に言えばアメリカが、機械原材料を日本に輸出して、日本がこれを加工、支那満州へ輸出するという、win.win.の関係でした。アメリカの当時の支那への直接輸出は、半分以上が石油製品、タバコ、綿花でした。これらは競争力があり、日本と競合することはなく、まして戦争などする必要などなかったのです。ところがいつの間にか、米国は他の列強によって先頭に押し出され、日本包囲網の中心になっていました。
 アメリカは1927年から蒋介石を援助しているのです。ソ連、イギリス、フランスも支那事変前後から援助していて、日本と外交的に対立しています。日本と蒋介石・国民党政府とを戦わせ、鉄道敷設権などの利権を得ようとしたのは明らかです。日本が歴史に学ぶことは、支那事変勃発、南部仏印進駐それ自体ではなく、ソ連の意図、英米の意図をみぬけなかったこと、内閣のブレーンにまで入り込んだスパイ、これらによって、国の政策を誤ったことではないでしょうか。今の日本は、かつてのような力はありません。英米が賢く振る舞い、日本と協調していたら、満州民族チベット民族、ウイグル、モンゴルは今よりも平和で幸せだったのではないでしょうか。朝鮮半島もそうです。原爆も落ちなかったでしょう。今さらファイブアイズにいらっしゃいと言われても遅いのです。当時日本は、国際法の何を犯したのでしょうか。今の東アジアの不幸は、英米の責任がかなり重いのではないでようか。