手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

「危ない公民教科書」情報戦と公民教科書

教科書動画一部訂正のため再投稿しました。深くお詫び申し上げます。

手奇塾ニコ動: 

 https://www.nicovideo.jp/user/17559649 

  あぶない公民教科書。第1回は、情報戦争と公民教科書です。公民とは公の民の意味ですが、これに対する言葉は私です。私達は、オオヤケとワタクシの2つの面を持っています。公民の教科書を学ぶとは、平たく言えば今の社会の仕組みの基本を学び、自分はその社会を作っている一人であることを、自覚することということができます。

ただし今の社会は、長い長い日本の歴史の上に成り立っている社会です。そしてこれからも変化していくものと、あまり変わらないものがあるでしょう。また、変えたくないものや、変えてはいけないものがあるかもしれません。例えば神社のお祭りとか、除夜の鐘とか、元日の初詣でとかはこれからも続いてほしいですね。

 日本の社会を学ぶときに、日本という国はどのような国なのかを知っておく必要があります。みなさんは、日本が、どんな国だと思いますか。日本という国が好きですか、すぐに答えられない生徒諸君がいるかもしれません。しかし、安心してください。この講義を最後まで学んでいけば自然に答えられるようになるでしょう。

生徒のみなさんは、情報戦争という言葉を聞いたことがあると思います。情報の中には真実の正しい情報がありますが、中には怪しげな情報や、偽物の情報も含まれています。また皆さんのパソコンやタブレットスマートフォンなどから、皆さんの個人情報やお友達の情報が、知らない間にコピーされて、外国のサーバーに記録されてしまうこともあります。個人の情報だけでなく、企業や国の秘密の情報も盗まれてしまうことがあります。

今では大切な情報を盗まれないようにすることが重要になっています。さらに情報を盗むだけではなく、間違った情報を拡散し、分からないように皆さんの意識を変えて、世論を誘導したりすることも実際に行われています。このような状況は、まさに情報戦争といえるでしょう。情報を発信する媒体をメデイアといいますが、テレビ、新聞、ラジオなどは大勢のひとに向け発信されるのでマスメデイアと言われます。

その中には真実の情報もあれば、世論を誘導するために流される偽情報もあります。そしてそれは、教科書も例外ではありません。特に歴史や公民、公共の教科書は、皆さんの歴史や社会に対する知識を形成する大事な情報媒体と言うこともできます。もし、ここに間違った情報が記述されていたり、重要な情報が記述されていなかったりしたら、皆さんの知識は間違った、狭いものになってしまうでしょう。

 来月、冬季北京五輪が始まります。アメリカやイギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドリトアニアなどは、中国がチベットウイグル南モンゴル、香港などで著しい人権侵害をしているということで、政府高官を派遣しないという、外交ボイコットを決定しました。日本は敢えてボイコットとはいいませんが、派遣しない方向です。

朝日新聞毎日新聞などと同様に、東京書籍は、この中国の人権侵害の、チベット人ウイグル人、モンゴル人などへの虐待を全く記述していませんが、自由社の公民、歴史教科書は記述しているのです。東京書籍で学ぶ生徒諸君は、なぜアメリカやイギリスなどが、北京五輪の外交ボイコットをするのか、詳しくわからないでしょう。

教科書の違いを知る方法は、最後の方にある索引をみてみることでもわかります。東京書籍のア行を見てみましょう。一番最初にアイヌが三つ並んでいます。自由社の索引にはアイヌが一つもありません。あるのは愛郷心愛国心です。逆に東京書籍には愛郷心愛国心はありません。次に、このぎょうの、国という漢字のところを見ますと、東京書籍も国という漢字がたくさんありますが、国家とか国益という文字はみあたりません。

自由社の索引には出てきます。わずかな例をあげてみましたが、教科書を作る会社の意向や姿勢を垣間見ることができます。そしてそれらの違いは、教科書を書く大学や高校の教員の思想が色濃く反映されていると考えられます。皆さんはどちらの教科書で学びたいと思いますか。なぜ同じ文部科学省の検定をパスした教科書なのにこんなに違うのでしょうか。

 公民や歴史の教科書は、真実だけを記述しているわけではありません。大学の教授などが唱える学説に基づいて記述されています。ある学説にもとづいて記述されている教科書と、別の見方をする学説に基づいて記述されている教科書とでは、大きな違いがありますが、どちらも文部科学省の検定をパスします。どの学説の教科書で学ぶかによって、皆さんの知識の中身は、違ったものになるでしょう。

歴史や公民の教科書の多くは、マルクス主義などの共産主義的思想を持った教科書執筆者によって、記述されているといわれることがあります。

 これは前回衆議院選挙の時の共産党立憲民主党の政策パンフレットを、見やすいように手をくわえたものです。ここには外国人というタイトルで、外国人参政権、賛成と書かれています。次にこれは外国人参政権の一歩手前といってもよい、外国人にも住民投票を認めるという、武蔵野市の条例成立が、反対多数のため否決された話です。

これは、見易くレイアウトを加工していますが、朝日新聞デジタルの、大阪豊中市は同じような条例を成立させたと言っている記事です。そして東京書籍の58ページの側注では、外国人参政権を認めるべきだという意見もありますと書かれています。

これに対し、自由社の公民教科書78ページには、外国人に参政権を与えないのは、憲法14条の方の下の平等に反するとの訴えが越されました。しかし、1995年最高裁判所は次のような趣旨の反けるを下し、訴えを退けたと記述しています。アイヌについても東京書籍は、7ページもさいて記述しています。学説ですから、これらがすべて真実の情報かどうかは別ものです。アイヌについてはまた別の授業でお話します。

どうですか、公民や歴史を学ぶとき、1冊だけの教科書で学ぶのは危険だとおもいませんか。適塾では、自由社の公民教科書と、東京書籍の公民教科書を2冊同時に比較しながら学んでいます。歴史も同じです。これは自由社の、文部科学省検定合格の中学公民と歴史の教科書です。市販ぼんはアマゾンでも購入できます。それでは、情報戦争と公民教科書を終わります。

第13回 敗戦と東京裁判史観からの脱却 後編

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東京裁判史観ということばを、はじめて使われたのは、東京大学名誉教授の小堀けいいちろう先生といわれています。平和に対する罪と人道に対する罪は、ポツダム宣言が発せられたときにはなかった、明らかに事後法でした。後からつくった法律でひとを裁くことができないのは、近代法の大原則です。これだけで、東京裁判は、法律を無視した、裁判とはいえない裁判だったということができるでしょう。

敗戦後76年もたった現在でも、なぜ東京裁判をわが国政府は、完全に否定することができないのでしょうか。これは外務省のホームページです。「東京裁判は、戦後連合国が、日本人の重大戦争犯罪人を裁くために、設置された裁判で、28名が平和に対するつみや、人道に対するつみ等により起訴され、病死または免訴となった者以外の25名が、有罪判決を受けたものです。

この裁判については様々な議論があることは承知していますが、我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。」これがわが国政府の公式見解です。重大戦争犯罪人とは敵国側の言い分ですが、そのまま使用しているのです。わずかな救いは、様々な議論があると言う文言をいれていることでしょうか。

嘗て国会で、日本は、極東軍事裁判所の判決、その他、各連合国の軍事裁判所による裁判を受諾したのか、あるいは「諸判決・裁判の効果を受諾したのか。もし判決、裁判の効果を受諾したと解釈すれば、東京裁判の内容や正当性については受け入れないが、その判決、裁判の効果については受け入れたという解釈になるが、どちらかという質問がされました。

これに対する平成18年6月16日の、政府見解は、我が国は、裁判を受諾しているというものでした。外務省のホームページもこれにもとづいて書かれているわけです。したがって東京裁判の正当性を否定することは、76年たっても政府はまだできないのです。これが英米、中ソが日本にはめた足枷です。繰り返しますが、戦後日本のすべてがここから組み立てられているわけです。日本国憲法もその一つです。

南京事件に関する外務省のホームページの「あったことは否定できないと考えています。と書かれている本当の意味もこれに基づいていることが分かります。東京裁判では、松井石根大将の責任を問うために作られた南京事件で、松井大将は有罪となり絞首刑になりました。東京裁判を否定すると松井大将は冤罪ということになるからです。また、GHQが草案を作った日本国憲法も、東京裁判の副産物と言ってよいでしょう。

現在国家公務員や警察職員などは、この日本国憲法を遵守しますという宣誓書に、署名捺印しなければならないと法律で決められています。それでは永久に東京裁判を否定し、東京裁判史観を政府も国民も脱却することはできないのでしょうか。日本政府も国民も、指をくわえて、ただ76年間穏忍自重していたわけではありません。

サンフランシスコ講和条約発効の昭和27年、1952年、4月28日の独立を待って、翌年国会は、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議赦免要求を、共産党を含む全会一致で可決し、東条もと首相の時、外務大臣だった重光葵は、A級戦犯とされましたが、後に衆議院議員選挙に当選し、国連で演説しています。東条英機の奥様、かつ子夫人は、その後ももと首相がおられた、用賀の官舎にお住まいになられ、恩給も支給されていました

当時の国会も政府も、赦免できなくてもできるだけのことはしていたようです。また、平成27年2015年、8月14日に閣議決定を経て発表された、安倍談話では、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりませんと決意を表明し、あの戦争に対する贖罪意識を、わが国民は捨て去ることにしました。

このように日本国憲法や、その他戦後日本にはめられた足枷は、牛歩の歩みですが、少しづつ外されていると考えることもできるのではないでしょうか。また、76年経っても成立できない、自主憲法の問題もありますが、現憲法を改正するやりかたで、前進しようとする機運が高まっていることは、世論調査でもあきらかになっています。

私達の父、祖父、曾祖父が戦った大東亜戦争を、胸を張って子や孫たちに語り継いでいきたいものです。それでは終わります。みなさん、さようなら。

 

「最門司さくらの憂国日記」【手奇塾】日本の移民 多文化共生VS自然な同化

 

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 厚生労働省によれば、外国人労働者数は、武漢コロナにもかかわらず、2020年末で172万4,328人と過去最高を更新しました。国別にみると、ベトナムが最も多く443,998 人で、外国人労働者全体の25.7%、次いで中国が419,431 人(同 24.3%)、フィリピンが184,750 人(同 10.7%)の順となっています。この半数近くが低賃金で働く、技能実習生と留学生のようです。ベトナムの首都ハノイで、今年3月、日本の建設分野の技能試験が実施され、24人が受験したといいます。これは第二次安倍内閣の時、2019年4月に創設された、外国人労働者受け入れのための「特定技能」と言われる新しい資格試験です。実務経験を持ち特別な教育・訓練が不要な人は、1号資格を、現場の統括役となれるような練度を技能試験で確認できれば2号資格を取得できます。1号には、介護、農業、漁業、建設、造船など14業種が含まれ、5年間滞在できますが家族は呼べません。2号は、建築と造船などの2分野に限られています。この2号は資格更新が可能で、家族も滞在資格が得られ、在留10年で永住権取得が可能になります。しかし、この制度は当初期待されたほどの成功を収めていないようです。これは出入国在留管理庁が3か月ごとに発表する特定技能在留外国人数の内訳です。令和3年9月末現在の合計人数は、38,337人です。そこで入管庁などは、来年度、2号にさらに11分野を追加し、計13分野にする方向で現在調整しているそうです。特定技能で外国人を雇用する場合、企業側にも報酬などの点で奴隷労働といわれないように、相応の支援体制がもとめられています。

 第2次安倍政権は平成24年の発足以来、規制緩和を重ね建設、造船、家事支援、介護など複数の分野で労働力の受け入れ推進をしてきました。これは、移民は専門職や技術職だけを受け入れると言う、これまでの方針を変更して、制限を緩め、企業が必要とする労働者を幅広く受け入れるということです。最長5年間の技能実習を修了した外国人に、さらに特定技能で5年間在留資格を与え、最長10年間の滞在が可能になります。資格試験の難易度で合格人数を調整できるにしても、外国人が、日本に来て働き、努力すれば、さらに家族とともに永住できるように門戸を開放するわけです。これはわが国経済界の要求で、原因は人手不足と言われています。治安の維持や不法滞在、集住の監視には、警察力で対応し、異文化には共生で、国民が協調するよう啓発するということでしょうか。中国のネットでは「日本は、中国人が来ないので困ってるなら行ってあげてもいいよ」とか「日本は、労働者不足で困ってるなら行ってあげてもいいけど、日本人と同じ保証はしてもらうよ」等の投稿やコメントが目立つそうです。

なにやら強がりを言っているように聞こえますが、今は中国人よりもベトナム人に、日本は人気があるようです。

  一般的に移民とは、外国籍の移住者が1年以上滞在した場合の外国人をいいます。日本では、技能実習生、留学生、新設の特定技能などの「中長期在留者」や、在日朝鮮人とその子孫などの「特別永住者」が「移民」に該当します。技能実習制度は、本来開発途上国の「人づくり」に協力する目的で、外国人を受け入れる制度でしたが、実態は低賃金外国人労働者で、賃金や解雇のトラブルが多いと言われています。すでに日本は世界第4位の移民大国だとよくいわれます。これはOECD経済協力開発機構による統計で、2016年に日本が受け入れた移民が、42万人。これは、ドイツ、アメリカ、イギリスに次ぐ4位にあたる数字という意味です。2020年の統計では日本の移民数の世界ランクは、22位となっています。また総人口に占める移民比率ランキングでは、2.19%で133位となっています。ちなみにドイツは、55位、英国は74位、オランダ75位、イタリア93位です。法務省によれば令和2年末現在、中長期在留者及び特別永住者を集計した在留外国人の数は、合計288万人です。武漢コロナで4万人減ったそうです。この数字を移民としますと、日本の労働人口に占める移民の比率は、4%くらいです。これは法務省の内訳です。昨年末時点で中国人が全体の27%の77万人、次がベトナム人で15.5%で約45万人。次が韓国人の15%で43万人です。内閣府によれば、わが国の総人口は、今後、長期の人口減少過程に入り、2026年に人口1億2,000万人を下回り、その後も減少を続け、2048年には1億人を割って9,913万人となり、2060年には8,674万人になると推計されています。これは70年前の、1952年頃の人口と同じです。1952年頃の産業構造は現在と違いますが、生産性向上によって労働力不足を補うことはできないのでしょうか。移民に頼らない、無人化、ロボット化です。これらの技術で今すぐに対応するのは難しそうです。

 一足先に移民を積極的に受け入れた、ヨーロッパはどうなったのでしょうか。かつて、ドイツなどヨーロパ諸国は、やはり日本同様に人手不足が原因で、政府は、移民受け入れ政策を積極的に実行しました。そのため東欧、中東、アフリカから多くの人がUE加盟国のドイツ、イギリス、フランス、ベルギー、スエーデンなどに移住しました。EU加盟国同志では、条約で人、物、お金が自由に移動できます。一般的に「たくさんの人、物、お金、情報などが国境をこえて移動することで、世界の一体化が進んでいることをグローバル化と言います。グローバル市場が完成すると物は、自由貿易、お金は、金融の自由化、人の自由な移動は、合法・非合法に国境を越える移民により達成されることになります。政府は小さく規制がない方がよい。国境もない方がよい。通貨は統一され、国家主権がはく奪され、やがて国家は無くなる。社会秩序破壊という、形を変えた共産主義の思想とよく似ています。ヨーロッパの国々では多文化共生により、よりよい社会が実現したのでしょうか。残念ながらそうはなりませんでした。今欧米では、安い労働力の移民を受け入れた結果、犯罪が増加したり、様々な問題が起きて、移民を制限したり、反移民を掲げる政党が勢力を伸ばしました。イギリスのEU脱退やトランプ大統領の国境の壁建設もそうです。「多文化共生」とは、異なる考えを持つ人が互いに協力し合い、よりよい社会を築くことといわれますが、これは理想で、川口市芝園団地の例を見ても、口で言うほど簡単ではありません。移民制限のトランプ大統領から民主党のバイデン大統領に代わって、再びアメリカに今移民が押し寄せています。ヨーロッパも同様です。ヨーロッパでは移民の大移動を政治的に利用しているのではないかと、ロシアを批難する意見も出始めました。

 わが国では歴史上多くの移民を受け入れてきました。663年の白村江の戦い後、百済から王族や貴族、一般の人々まで多数が、今の滋賀県や関東に移住しました。さらに日本書紀には応神天皇のとき半島経由で弓月のきみが大勢の民を引き連れて日本に移住したと記されています。秦うじの先祖と言われています。日本は古代から移民を受け入れてきたのです。そして彼らは大和民族に同化していきました。わが国の皇室、伝統文化を尊崇する外国人であれば、我々は喜んで彼らを歓迎してもよいのではないでしょうか。しかし、反日の移民は、お断りしなければならないでしょう。移民の条件としてそれを法律に何らかの形で盛り込むべきではないでしょうか。それでは終わります。

「キャンセルされた歴史を取り戻す」これでも侵略か 第11回 大東亜戦争とアジアの独立(後編)

 

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  谷豊という当時3歳の日本人一家も福岡県から、マレー半島南部の州都、トレンガヌに移住して,クリーニング店と床屋を営んでいました。  満州事変が起こると、それを口実に、トレンガヌ一体にも排日の動きがでてきて、華僑が日本人の商店を襲って、略奪、投石をするようになりました。 昭和7年、1932年11月の事でした。豊青年は、徴兵検査で日本に帰国、幼い妹は風邪で一人とこに臥せていました。悲劇はこの時起きました。 ひとりの華僑が妹の首を青龍刀で切り落とし、反日デモの中でそれをかざしたのです。 返ってきた豊青年はこのとき誓ったのです。華僑と、背後で反日を煽っているイギリスに復習すると。 谷豊はその後、表向きはゴムの仲買商人でしたが、華僑、イギリス軍を敵に回して荒らしまわる、盗賊数百名の親分となっていました。 イギリスと結び、現地の経済を支配していた華僑をこらしめ、病気や貧しい者を助け、現地のひとには大の人気者でした。 彼は、マレーの虎ハリマオと、イギリス人や華僑には、恐れられるようになりました。 つかまって刑務所いきになりますが、直ぐに仲間が助け脱獄してしまいます。彼は、日本軍の諜報組織の目に留まり、賄賂を使いタイの刑務所を出ます。その後彼は、部下とともに、その諜報機関に協力するようになりました。  軍隊は命令があれば直ちに戦をしなければなりません。平和な時でも訓練をしたり、作戦を考えたり、いざというときに備えるのが軍の仕事です。 ソ連に対しては、作戦は整っていたのですが、南方での戦いは、想定していなかったのでできていませんでした。 それもアメリカが石油を輸出してくれるという前提です。ところがアメリカの動きが怪しくなっていきます。 それまでもアメリカの排日政策は続いていましたが、1937年5月頃からアメリカは、中立を破り、日本と戦う蒋介石政権に対し、軍事援助を強めていました。  このままでは石油を断たれるかもしれない。日本軍は事前に、南方での諜報活動を始めたのです。 地図はもちろん、道路や河川や食糧事情、飲料水の有無、風土病、ジャングルの中の害虫や毒ヘビまで調査しておく必要がありました。 1940年(昭和15年)9月、とうとう日本は、英米をけん制するために三国同盟を締結します。 実際アメリカが石油の輸出を禁止すると、日本はオランダと石油輸入の交渉をはじめますが、アメリカが裏から手をまわしてオランダも売ってくれません。 アメリカの要求は、ハルノートに書かれていたように、一言でいえば、日本は中国大陸市場から撤退せよということでした。 このままでは日本は石油危機となり、電気は止まり、工場は操業を停止し、街には失業者が溢れ出ます。餓死者も出たでしょう。 のちにマッカーサー自身が、1951年にアメリカ軍事外交合同委員会で、日本の戦争理由の大部分は、安全保障だったと証言しています。 それでは、実際に植民地にされ、その後独立した国の人々は、日本をどう思っているのでしょうか。 ミャンマーのバーモウ初代首相は、著書「ビルマの夜明けで、歴史を見るならば、日本ほどアジアを、白人支配から解放させることに貢献した国はないと書いています。 インドネシアの首都ジャカルタの独立広場には、大きな碑が立っていて日付が17-8-05と書かれています。 独立した8月17日です。05は西暦ではなく、日本に敬意を払い、皇紀2605年と刻まれているのです。 これは防衛省にある、インドネシアから送られたスデイルマン将軍の像です。独立戦争では、日本兵とともに戦った最高司令官です。毎年8月17日に献花式が行われます。  タイのククリット・プラモードもと首相は「12月8日と題して、次のように大東亜戦争を回顧しています。 日本のおかげでアジア諸国は、すべて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。 12月8日はお母さんが一身を賭して重大決心をされた日である。さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病に伏した日である。この二つの日を忘れてはならない。  台湾の李登輝もと総統の秘書をされた、早川友久氏によれば「李登輝は、いつも言っていた、台湾にとって日本はなくてはならないが、日本にとっても台湾はなくてはならないんだと。 だから「台湾のことはまかせましたよという言葉は、日本人の私たちにも向けられた言葉だということを忘れてはならない。この言葉こそ、李登輝の遺言だとおっしゃっています。  これは台湾の有事は、日本の有事であるということでしょう。アジアにはこのような国々があることを、私たちは知っていなければなりません。 それでは、第11回、大東亜戦争とアジアの独立、後編を終わります。
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キャンセルされた歴史を取り戻す」これでも侵略か?【手奇塾】第10回 大東亜戦争とアジアの独立

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キャンセルされた歴史を取り戻す、これでも侵略か、第10回は、大東亜戦争とアジアの独立です。

第二次世界大戦は、1939年9月に、ドイツがポーランドに武力侵略したため、イギリス、フランスが、ドイツに宣戦布告。こうしてヨーロッパでの戦争が始まりました。

日本が英米、オランダ、オーストラリアと戦った、太平洋インド洋での戦いは、それから2年以上もたってからでした。

この間まだ大陸で、日本と蒋介石との戦争は続いていましたが、下火になっていました。しかし、英米の日本に対する圧力は、日増しに強まっていきます。

この時の日本の戦争を太平洋戦争といったり、侵略戦争というのが、今までの学校教育でした。そして自由社以外の教科書には、日本の戦争がアジアの植民地を開放したとは書かれません。

中国への侵略の始まりは、満洲事変からとか、朝鮮半島への日本の侵略の始まりは、朝鮮併合とかいろいろな言い方がされています。しかし、これらは中国やイギリス、アメリカ側の見方、朝鮮側の見方と言えるでしょう。それらは自国にとって都合の良い、日本人に罪悪感を植え付け、ひ弱な日本のままにして、日本から利益をむしり取るための政治宣伝といえそうです。

蒋介石政権が日本に戦争を仕掛けたことは、すでに日中戦争でお話ししました。1898年にアメリカはフィリピンを、それ以前にイギリスは、インド、マレー半島など、オランダはインドネシアを武力で支配し、植民地として、現地住民を奴隷のように安い賃金で働かせていたのです。日本も江戸時代あるいはその前に、へたをすれば欧米の植民地にされていたかもしれません。

そうならなかったのは運がよかったのではなく、我々のご先祖が強く、賢かったからとしか言いようがありません。日本は、日清・日露戦争第一次世界大戦をへて、強大な軍事力を身に着け、国際社会に登場してきたわけです。それを英米ソ連は恐れ、警戒し始めます。しかし、彼らは日本の弱点がエネルギー、つまり、石油であることを知っていました。

いざとなったら、日本への石油輸出を止めれば、軍艦、飛行機は動かず、日本は言うことを聞かざるを得ないと考えていたはずです。いざ戦争になっても、小競り合いていどで、まさか彼らの植民地支配が終わるなどとは、夢にも思っていなかったでしょう。日本は、1919年、大正8年第一次世界大戦後のパリ講和会議で、人種差別の撤廃を提案しました。

国際会議で、こうした人種差別の撤廃を訴えたのは、日本が歴史上初めてでした。植民地支配をしている英米は、当然賛同せず、特にアメリカはこの提案を潰してしまいます。この頃は日本人も、白人と同等に扱われていませんでした。アフリカもアジアもアパルトヘイト、人種差別が常識でした。「そんな国際連盟なら参加する必要はない」という強硬な意見も当時あったそうです。

アメリカは、1924年、日本人移民を禁止する排日移民法を制定し、日本の対米国民感情は悪化しました。わが国は第1次世界大戦で、地中海に駆逐艦隊を派遣して、ドイツのUボートから英国商船を護衛したり、チンタオのドイツ軍を攻撃し、占領したりして、戦勝国となりました。

このころは日本の商社など、企業や個人も経済的に力をつけて、ドイツの権益を受け継いだ、南太平洋や今のマレーシアー、インドネシア、フィリピンなどに進出していました。そのためすでに商権を確立して、一大勢力になっていた華僑や、東南アジアを植民地支配していた欧米諸国にとても警戒されるようになったのです。彼らは、満州事変、続く満州国建国を反日宣伝に利用しました。華僑とは、中国籍のまま海外に移住した中国人です。

たとえばこのような例がありました。マレーシアは、イギリスの植民地でしたので英領マラヤ、通常マレーと言っていました。谷豊という当時3歳の日本人一家も福岡県から、マレー半島南部の州都、トレンガヌに移住してクリーニング店と床屋を営んでいました。満州事変が起こると、それを口実に、トレンガヌ一体にも排日の動きがでてきて、華僑が日本人の商店を襲って、略奪、投石をするようになりました。

昭和7年、1932年11月の事でした。豊青年は、徴兵検査で日本に帰国、幼い妹は風邪で一人とこに臥せていました。悲劇はこの時起きました。

後編に続く

「最門司さくらの憂国日記」 【手奇塾】第21回 台湾有事と日本の危機

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今回の「最門司さくらの憂国日記」は、力の均衡、台湾有事と日本の危機についてお話しします。産経新聞によれば、中国の習近平氏は、10月9日、辛亥革命110年の記念演説で、台湾問題は完全に中国の内政で、外部のいかなる干渉も許さないと強調し、祖国の完全統一という歴史的任務は、必ず実現しなければならないと述べたそうです。また、イギリスBBCニュースも同じく、中国と台湾の緊張:習近平氏は「統一」が実現されなければならないと述べたと伝えています。中国が、いつのまにか台湾や尖閣諸島を自国領土と主張するようになりました。漢民族満州人の清朝から独立した辛亥革命では、漢人による満洲人の虐殺が1週間も続いたといわれています。これは決して教科書には書かれません。満州人は満州国の崩壊とともに滅んでしまったのでしょうか。かわの前統合幕僚長は、台湾有事になれば沖縄、奄美も戦域になるのは軍事的に常識とおっしゃっています。台湾国防部の発表によれば、10月1日の昼に延べ25機、そして夜に延べ13機、合計延べ38機の中国軍機が、防空識別圏に侵入したそうです。これは1日に確認された中国機の侵入としては過去最大だったそうです。さらに翌日2日には昼に延べ20機、夜19機、さらに10月4日には、52機が侵入したと発表しました。またも過去最高を更新したのです。昨年、台湾のADIZに進入した中国軍機は、計380機でしたが、今年はすでに600機を超えたそうです。確実にエスカレートしています。これについて台湾の新聞報道では「国慶節に合わせ、中国軍が軍事力を見せつけたのと同時に、夜間に第1列島線の外側で、台湾や他国の海軍と空軍の部隊を攻撃する能力があることを示している」という専門家の分析を伝えています。この他国のという意味は、明らかに今南シナ海に展開している、西側諸国の空母部隊を指しています。また、台湾の国防部は8月末に「台湾の南西沖を中国軍の訓練区域として取り込み、台湾軍の活動空域を狭めたり、防空の負荷を増やしたりしようと企てていると言っています。日本では9月に台湾がTPPに参加申請をしたため、中国が怒ったからという報道もあります。しかし、今中国は、電力不足や大手不動産会社の巨額債務返済問題を抱え、国民の不満は高まっているでしょう。民間企業の報道事業を禁止にする予定とか、国内の締め付けもエスカレートしています。もはや言論はおろか報道さえも自由が無くなりつつあります。台湾に対する軍事的圧力を高めて緊張をエスカレートしている理由は、この辺も関係しているのではないでしょうか。もしそうであれば今の緊張は高まるばかりで、緩和する可能性は低いのではないでしょうか。まさに少しづつ、台湾の空域を切り取っていく、中国のサラミ作戦です。台湾進攻のためには、どうしても制空権と制海権を中国側が握らなければなりません。現在の中国機による台湾空軍や西側艦隊に対する猛烈な圧力は、制空権は必ず中国がとるという意思を示しているのかもしれません。台湾と与那国島の距離は111kmです。天気が良ければ見えることもあるようです。この距離は、今の戦闘機であれば15分で飛べる距離です。台湾軍機も中国軍機もスクランブル中は、日本の防空識別圏など無視して侵入するかもしれません。この時わが国はどう対応するのでしょうか。航空自衛隊の中国軍機に対するスクランブル回数がこの3年平均で、約680回という数字も十分に異常ですが、最近の台湾海峡は、日本よりもさらに異常な状態にあることが分かります。これは航空自衛他のスクランブル回数のグラフです。2020年の中国軍機へのスクランブルの減少について防衛省の担当者は、「対象になるような距離まで近づいてくる航空機は減ったが、遠い空域での飛行は続いている。中国機の活動は引き続き活発だ」と話しています。先の総裁選の討論会で高市氏が発言した、敵基地攻撃能力の保持とは、わが国や台湾の防衛に、米軍の後方支援という限定的な軍事行動ではなく、積極的に、且つ主体的に台湾と先島、尖閣諸島を防衛する、自衛権の範囲で行う抑止戦略といえるのではないでしょうか。敵ミサイルから自国を防衛できなければ抑止力を高めることが必要です。つまり力の均衡です。これはわが国が開発中の長射程弾道ミサイルの射程距離を示した図です。最終的には北京と平壌が射程距離に入ります。抑止力のボタンをわが国は、他国にたよることなく、持つことになります。また、我が国の外交方針も少しづつ変化しています。令和3年4月、菅首相とバイデン大統領の首脳会談の共同声明では、初めて中国を名指しで非難したのです。「経済的および他の方法による威圧の行使を含む、国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した」と明記されました。また令和3年のわが国防衛白書では「台湾をめぐる情勢の安定は、わが国の安全保障にとってはもとより、国際社会の安定にとっても重要」と言っています。いままで政府は、台湾という表現ではなく、台湾海峡と言ってきました。しかし、今回の防衛白書では遠慮せずに台湾と表現しているのです。6月に、中山泰秀防衛副大臣は米ハドソン研究所でのオンライン講演で「我々は民主主義国家としての台湾を守る必要がある」と主張しました。7月5日の講演で、麻生太郎副総理兼財務相は、中国が台湾に侵攻した場合、安全保障関連法が定める存立危機事態として認定する可能性があるという考えを表明しました。存立危機事態になれば、日本が直接攻撃を受けなくても「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃が発生したと政府が認識し、限定的な集団的自衛権を行使できます。制約はありますが、オーカスやクアッド諸国の軍隊に自衛隊が協力できるわけです。麻生副総理の発言は、もし中国が、台湾に武力攻撃をした場合、日本は、自国の存立危機事態とし、限定的な集団的自衛権を行使しますよという中国に対する脅しともとれます。これには早速中国が、日本はけしからんと怒り、中国が日本を核攻撃するyoutube動画を発信し、わが国民を恫喝しましたが、わが国のマスコミはこれを無視しました。さて、国民が注目した自民総裁選挙でしたが、岸田内閣が成立しました。この内閣の内に中国が台湾に侵攻するかどうかわかりません。しかし、防衛大臣外務大臣が再任され、クアッド諸国や英国との意思疎通は途切れず、継続されることになったことは米国や欧州も歓迎するでしょう。今後中国は、台湾に対する圧力をさらに高めていくのではないでしょうか。いざというとき専守防衛では、自衛隊の犠牲が大きくなる危険があります。ミサイルの時代、専守防衛ではもはや台湾はおろか自国の防衛さえ心もとない状況です。政府は昨年12月の閣議決定で、敵基地攻撃能力をめぐる検討の無期限延期を決めましたが、私たち国民は、憲法改正や敵基地攻撃能力保持が、待ったなしということをもう理解しなければならないのではないでしょうか。次の総選挙で国民の判断を仰いていただきたいものです。

「キャンセルされた歴史を取り戻す」安全保障 日清・日露&支那事変・大東亜戦争

 

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 今回は「キャンセルされた歴史を取り戻す」わが国の安全保障です。第一次戦の前は、ドイツが世界の敵になりました。第二次戦の前は、日本が世界の敵になりました。第三次戦はソ連との冷戦という見方もあります。それでは第四次戦は、中国が世界の敵になるのでしょうか。今のところはそうなっていくように見えます。それでは日清戦争から大東亜戦争まで、戦争に至る国際情勢を見ていきます。

 明治維新後日本は、条約改正や国境の画定など、外国との外交交渉は、忙しかったはずです。周囲は欧米の植民地でした。国内産業保護育成で、できれば戦争などにお金を使いたくはなかったでしょう。日本軍は始めから強かったわけではなく、開戦の時でもわが国の兵力は、清国に比べこのように劣勢でした。この兵力差では、必ず勝てると言う自信はなかったでしょう。

明治15年、1882年、軍近代化に不満をもった、朝鮮の軍人が起こした反乱、壬午事変では、日本公使館が襲撃され、館員が殺害されました。2年後の改革派のクーデターの甲申事変では、クーデターを平定しに来た清国の軍隊と、公使館、領事館保護に派兵した日本側と戦闘になり、将兵と多くの在留邦人が犠牲になりました。この紛争で日本は、2度清国に負けているのです。

 朝鮮は、清のさくほう体制に入った属国で、朝鮮の問題は清の国内問題でした。日本は逆に、清の言いなりになる朝鮮では困るので、清から独立して欲しいわけです。過去元寇のように大陸の王朝と朝鮮が一緒になって、日本に攻め込んできたことがあるからです。学問のすすめを書いた福沢諭吉も、清や朝鮮も近代化をして、西洋列強に侵されない独立した国になることを望みました。

大国清だけではなく、東に向かってシベリア鉄道を建設するロシアの脅威も日本は感じていたのです。日本の安全保障上、朝鮮半島の自存自衛は日本にとって最も重要なことでした。豊臣秀吉の時代の明も、同じだったのかもしれません。清国は日本を見下して、一歩も譲りませんでした。日本は、欧米列強の極東での外交政策をにらみながら、仮想敵国となった清との戦争に備えたのです。

10年後、半島で大規模な宗教的農民一揆が起こり、清国は一揆を平定するために出兵、日本も公使館、在留邦人保護のため、軍隊を派遣しました。アジアに植民地を持っている欧米列強は、隙があれば介入してくるはずです。正に日本外交の正念場でした。日本がうかつに動けば、ロシアがスキを狙って北海道に攻め込むかもしれません。列強各国との腹のさぐり合い、日本側の必死の外交交渉の結果は、どちらも譲らず日清両国の戦争でした

 日露戦争では、ヨーロッパ諸国は、ロシアと戦うにはあまりにも日本は小国とみていました。ロシアは、この時日本の10倍の国家予算と軍事力を持っていました。ちなみに中国の数字は怪しいのですが、2020年の中国の名目GDPが、1570兆円。日本が538兆円ですから、日本の約3倍。日本はなんとか外交交渉で戦争を避けようと努力しました。元老の伊藤博文山県有朋も、初めはロシアと協調せざるを得ないとみていました

ロシアも、ヨーロッパやアフガン、黒海方面で、ドイツやイギリスと対峙していて、極東に大兵力を送って争いを起こすことは、望ましくないと考えていたかもしれません。 しかし、1900年、義和団の乱がおき、シベリア鉄道の支線で旅順まで行く、東清鉄道に大きな被害を受けたため、ロシアは、満州にも軍隊を派遣、駐留していました。

これに対し、日本、イギリス、アメリカなどはロシアに抗議しましたが、完全には撤退しませんでした。旅順には要塞ができ、満洲、朝鮮国境の朝鮮側にもロシアの軍事基地ができました。ここで元老の山県や桂首相・小村外相や陸海軍の首脳部は、戦争になることを覚悟しました。それでも戦争に負けた時のことを考えたのでしょう、元老の伊藤や井上馨は、ロシアに満州での一定の権益を認めるという、戦争回避論を主張しました。

 外交で日本は、だんだんとロシアに譲歩していきます。そして日本側は 1903年6月、御前会議を開き、ロシアとの外交交渉の条件を決めたのです。外交交渉の条件から満洲を外すとか、朝鮮の北部に中立地帯を設けるとか、なんとか戦争回避に必至となります。日英同盟があっても、軍備増強や猛訓練でも、勝つ自信は薄かったのでしょう。必死の外交交渉にもかかわらず、日本の指導者達は戦争に追い込まれていきます

最後まで戦争に反対だった伊藤博文は、日露開戦と決まった後は、つぎのような言葉を残しています。吾輩も国民軍に入り、自ら銃を肩にして海岸を守り、一歩たりともロシア人を日本の土地に上がらせない決心である。ここでも政治の先、つまり外交交渉の先は戦争でした。支那事変・大東亜戦争も必死の外交交渉の結果が、戦争ということではやはり同じでした。

 日本のお陰で満州は清に戻され、日本は清から改めて遼東半島の租借権を得ます。イギリスも租借地を得ていました。ロシアが極東から去り、支那大陸の鉄道利権の争いは整理されたのですが、今度は新たに米国が鉄道利権をめぐる争いに参加してきました。米国と国際連盟は、歩調を合わせて日本批難の宣伝を始めます。そして今度は、ソ連が極東に現れます。

ソ連は、孫文蒋介石と手を結びました。中国共産党支部として日本共産党も作られました。1921年ワシントン会議の間に、いつの間にか外蒙古を独立させて、共和国をつくってしまいました。ソ連は、支那を世界革命の踏み台として利用しようとしていたのです。後で蒋介石が気づいたときは、支那全土でソビエト共和国が密かに作られていました。蒋介石は必至に毛沢東共産軍を攻撃して、壊滅寸前まで追い込みました。

しかし、西安事件共産主義者の罠にはまり、抗日戦の準備をしかたなく始めます。戦争に向けて兵器廠、製鉄所、飛行機工場、軍需品の製造工場の計画が進められました。このとき支那が世界最大の武器市場になったのです。次第に支那大陸のプレイヤーは、日本、アメリカ、ソ連、担ぎ出された蒋介石と言うことになりました。

 満州事変、そして満州国建国と、欧米をあざやかに出しぬいた日本は、欧米諸国の嫉妬と恨みを買い、いつの間にか世界の敵となっていたのです。国家のていをなしていなかった蒋介石政府が、統一国家中華民国として国際連盟に加盟できたのも、共産主義ソ連が加盟できたのも、欧米列強の反日のための都合でした。欧州諸国の反日宣伝と外交は、満州人の満州国を認めず、米国と日本を対決させて、漁夫の利を得ることでした。

 米国民は、やがて対日戦争になるだろうと思い込まされ、日本への敵愾心を植え付けられ、かつて世界中が反ドイツに向かったのと同じ方法で、反日の世論が世界に形成されていきました。大陸から日本を追い出したい、欧米、そしてシナを革命政権にしたいソ連、米ソを利用して、日本を追い出したい蒋介石は、互いに利害が一致するようになっていきました。日本は満州事変後、欧米の日本批判に対して必死の外交努力をしました。

当時60に満たない独立国のうち、満州国を承認した国は、バチカンなど20か国にもなったのです。日米間で戦争が起これば、世界恐慌の問題や、第一次世界大戦の戦時国債の問題も解決し、米国が極東貿易を中止すれば、日本は身動きができなくなり、日本の満洲、東南アジアへの進出を食い止めることができる。そうなれば欧州は再びシナ大陸市場で優勢を確保できる。欧州の得られる利益は計り知れない。

 このような国際情勢の中で、日本は最後に、日露戦争で地を流した、満鉄の利権を放棄するまで譲歩しました。しかし、蒋介石との和平交渉は何度も潰されます。アメリカも、日本との貿易を段階的に制限していき、シナ大陸から撤兵し、汪兆銘政府ではなく、蒋介石政府を承認せよとまで言ってきたのです。ハルノートです。わが国は、エネルギーぶそくで工場の操業が止まり、大量の失業者が生まれ、その結果大勢の餓死者が出たでしょう。

もはや国際連盟を脱退しようと、我慢を重ねて連盟に残ろうと、欧米が望む戦争というゴールは変わらなかったでしょう。すでにこのとき欧米諸国は、日米戦争を前提として、外交政策を決めはじめていたのです。それでは現在はどうでしょうか。今各国は国際情勢を見ながら対中政策を決めているようです。中国は今後どうふるまうのでしょうか。それでは終わります。