手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

「キャンセルされた歴史を取り戻す」第4回 これでも侵略したといえるのか支那事変(前編)

「キャンセルされた歴史を取り戻す」

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みなさん、こんにちは。講師の最門司桜です。キャンセルされた歴史を取り戻す、第4回の授業は、これでも侵略か、支那事変1です。

 

日本という国は、昔から道徳とか法律を大切にするお侍がいて、それが一般庶民にも影響を与えていたように見えます。

実際に江戸時代に来日した外国人の多くが、日本人の礼儀正しさ、親切さ、治安の良さに驚いています。

日露戦争のころは、国際法学者を戦地にともなって、ロシアと戦争をしたくらいです。

また、東京書籍の179ページには、明治時代の戦争捕虜のあつかいは、国際法にのっとった人道的なものでしたとあります。

前回の支那事変の南京城攻防戦のときも、日本軍将兵には、国際法尊守や不法行為禁止の命令が出されていました。

敵の高射砲に撃たれながら、急降下して飛行機から降伏勧告のビラを撒きましたが、南京の中国軍に拒否されました。

軍隊経験のないひとには誤解されやすいのですが、戦争するにもルールがあり、このルールを破って戦闘をする者には、敵味方を問わず場合によっては、死刑という厳しい罰が与えられます。

例えば軍服を着ずに民間人に紛れて戦ったり、武器を隠し持ったりすることです。

外国の軍隊に比べて、日本の軍隊が非常に厳しい規律を求められたのは、日本軍は天皇陛下の軍隊で、将兵不法行為は、天皇陛下に申し訳がないという、暗黙の了解があったのではないでしょうか。

1938年に引き上げましたが、蒋介石の軍事顧問は、ドイツ軍将校でした。

上海周辺のトーチカ網の建設を指導したり、南京攻防戦の1937年12月のときもまだ軍事顧問でした。

上海は蒋介石政府の支配するナンタオと、日英米仏などが警察権と行政権を持つ、租界に分かれていました。

表のように、ソ連軍も1937年に航空機、戦車、トラックを蒋介石に援助し、英国、米国も援助しました。

特に米国は1927年からです。ですから蒋介石は、自信をもって軍備を整え、日本に戦いを挑んだのです。

この点では英米コミンテルンの思惑は一致していました。

国民党軍5万の兵力で、上海租界地を守る海軍陸戦隊3千弱に、機関銃で攻撃を仕掛けたのです。

そこで松井岩根大将を司令官とする救援軍が上海に上陸しますが、ドイツ軍事顧問団指導の、強力なトーチカとクリーク網がありました。

最新鋭の武器とドイツ顧問団の軍事指導のため、日本軍はたちまち大損害を被り、約3か月間で4万人の死傷者を出してしまいます。

このため日本軍は、敵軍の背後をつく上陸作戦を実行、その結果国民党軍は総崩れとなり、南京に退却したのです。

しかし、教科書や学校では、日本が侵略をしたと、英米やチャイナの言い分を今でも教えています。

例えば東京書籍は、満州支配下に置いた日本は、さらに中国北部に侵入しました。1937年7月、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまりましたと記述しています。

みなさんは、情報を鵜にしないで、本当だろうか、なぜだろうと考えて、答えを出す態度が大切です。

戦争を終えるには相手と交渉して合意する必要があります。

しかし、コミンテルン英米の思惑は、日本を長期戦争に引きずり込むことにありましたから、今考えれば絶対に停戦などありえませんでした。

日本に失敗、反省することがあるとすれば、英米ソ連の意図を見抜けず、深入りしすぎて相手の戦略に嵌ってしまったことでしょうか。

それでは、日本はシナ大陸を侵略したのでしょうか、それとも侵略ではなかったのでしょうか。

答えは、日本は侵略するつもりは全くなかったが、日本が防衛のための敵地攻撃を連続したため、敗戦により、侵略と言われるようになってしまったです。

侵略の定義もあいまいで、各国が自由に、自分に都合の良いように解釈して、相手を侵略したと非難します。それを考えるために表をご覧下さい。

日本に留学し、日本の軍隊経験がある蒋介石が、なぜ日本と戦争しなければならなかったのかよくわかります。

自由社以外の教科書で学ぶ生徒諸君は、コミンテルンの意味がわからないと思います。

日本はあの広い支那大陸で日清・日露の二度の戦争経験があります。

いかに大陸で戦争をすることが、物理的にも経済的にも大変かよく知っていました。ですからなるべく戦争をしたくないのが本音です。

戦争をするお金があれば、満州や朝鮮や国内にもっと投資したかったでしょう。

日本の安全保障にとって、満州国朝鮮半島が発展し、経済的に安定することが重要でした。

しかし、諸外国と利害はいっちせず、そうはなりませんでした。

すでにその時、情報戦争と対日謀略戦争に負けていたといってよいのではないでしょうか。

それではおわります。みなさん、さようなら。