手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

自由社VS学び舎 6.日清戦争(3)

 学び舎は、195Pに「旅順虐殺の時事新報」を載せています。写真ではなくスケッチ画。

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これも南京大虐殺と同じ宣伝工作(プロパガンダ)。以下の反証で十分。

 日清戦争には内外の通信員も同行していた。南京戦も同様。彼ら記者たちも旅順戦をその目で見ていた。タイムス戦地通信員やジャパン・メールの記者。実は南京戦も同じで支那の兵士は兵服を脱いで退却する。一般人のように見える死体が多かったが、死体の中には腰に弾薬入れを帯びているもの、軍靴を履いているもの、服の下に軍靴を隠しているものある。平服をどうやって清国兵は手に入れるのか。答えは言うまでもありません。外国の軍隊を日本軍のように軍律厳しい軍隊と同じと考えると理解できないし、今後自分の命を守れないかも。

「台湾征服」についてはこれで十分。

明治4年11月、琉球人民69人が乗った船が台湾に漂着したところ、現地蕃人に57名が殺され、また明治6年には小田県の人民が漂着し、船を破壊され荷物衣類一切を奪われた。日本側が抗議すると清国政府は「台湾東部は化外の民であり、政府に責任は無く、またこれを逮捕もしない」と返答。

 

 学び舎は、日清戦争を日本の侵略という。ではこれを見てください。

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 この時の清国の海軍の兵力が、自由社190Pに載っています。威海衛は、清国海軍の本拠地。旅順には陸軍の要塞があった。8.5万トンの清国海軍、63万の陸軍兵力です。

 これに対し、日本は、6万トンの艦船と24万の兵力です。日本は侵略どころか、戦うのに必死こいていたはずです。清は楽勝と考えていたでしょう。

 当時の清国は、アヘン戦争でイギリスに負け、日本と競うように軍の近代化をしました。世界最大の軍艦を2隻もドイツから購入したくらい海軍の軍拡を急ぎました。定遠鎮遠です。中国は、今では自前の空母や潜水艦を持ち、ステルス戦闘機まで持っています。

 今も中国が、尖閣を威圧しているように、当時清国の軍艦4隻が日本を威圧するため修理と称して長崎港に入港します。上陸した水平たちは肩で風を切って街を練り歩きます。日本の警官もうかつに手出しができません。こうして彼らが上陸して起こした諍(いさか)いが長崎事件です。

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現在の日本でも今後警察が安心して行動できない区域が北海道や沖縄あたりにできるのでしょうか。今も昔もわが国は、大陸の王朝の圧力をうけていたということができるでしょう。この時も清国政府は、清兵の乱暴を鎮圧しようとした約30名の巡査の行動を、治安取締りの行為と認めず、清兵と巡査の喧嘩であると主張し、最後までそれを押し通しました。互いの国民の犯罪行為を現地国の法で取り締まることを規定した日清条約があったにもかかわらずです。

 2年前の甲申事件の時も、王宮警護の日本兵およそ130人に対し、1000人を超える清軍が突然王宮に攻め入って攻撃をしかけ、日本公使館も襲撃した。更にこの時に清兵は、何の関係もない京城居留の日本民間人を殺害(婦人1人を含む死者36人、拉致被害婦人12人)、また財産も掠奪した。

 このことに対し、清国政府は遂にその非を認めず、謝罪もせず、賠償にも応じなかった。尖閣国有化に抗議して日本企業や商店を破壊・略奪した8年前の反日暴動を日本人は忘れさせられている。

 

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 当時の日本人が猛烈に怒ったのはこれらの点である。また、清国をはっきりと敵国と意識するようになった。昔も今も、王朝は変わっても約束は絶対守らない、という国民性は変わっていないようです。しかも狩猟民族ゆえなのか捕虜の扱いは尋常ではない方法です。検閲のため詳しくは書けません。ここから日本軍に「捕虜にはなるな」が生まれてきます。残酷です。

 米国はもうはっきりと中国を敵とみなしているのに。

 このころ満州はロシアの勢力圏となっていました。その後、満州里、ハルピン、長春奉天、大連へとシベリア鉄道が延伸していきます。ロシアが満州に送り込んだ軍隊が英、米、日の抗議を無視して居座り続けます。

 ちなみにウラジオストークは、ロシア語で当方を征服せよの意味です。

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 次回は日露戦争です。