手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

アフガニスタン 自衛隊機派遣に消極的な外務省と関東軍の邦人救出 根本中将、下道部隊

みなさん、こんにちは。最門司桜の憂国日記。

8月20日産経新聞に、日本外務省は、邦人救出機を派遣しないらしいことが書かれていましたので、読み間違いかと、思わず読み直してしました。理由は、他国の救出機を利用した方が早く、安全ということでした。しかし、23日の新聞で分かったのですが、この時すでに日本外務省の職員12人は他国の航空機で避難していたのです。外務省のホームページによれば8月15に在アフガニスタン大使館を閉鎖し、17日にはトルコイスタンブールで臨時事務所を設置しているのです。そして19日の新聞によればアフガニスタンにいる大使館や国際協力機構ジャイカの現地スタッフとその家族の避難を検討しているという。

 この記事の中に自民党外交部会の話が出ています。部会長の佐藤正久氏が、日本の対応が冷たいと今後の支援にも影響が出かねないと述べたと書かれています。これは現地スタッフとその家族の話ですが、空港までたどり着けない日本人のジャイカ職員もまだいるのではないでしょうか。

部会長の佐藤正久氏とは、ヒゲの隊長さんのことです。23日のひげの隊長さんは、ツイッター自衛隊機を派遣することになって、誘導輸送隊が派遣されることになったと発信されています。当初自衛隊機派遣を考えていなかった外務省は、恐らく髭の隊長の佐藤氏に説得されたのではないでしょうか。

理由はともかく、自分はさっさと安全なところに逃げて、しかも自衛隊機の海外派遣に反対するこの態度は何とも救いようがありません。戦前からの体質は何も変わっていないのでしょうか。それにしてもこの外務省の行動をみますと、いやでも思い出すのが、敗戦時、満州の西側にあった、内蒙古の張家口から邦人を避難させた、関東軍、駐蒙日本軍司令官根本博中将です。敗戦時満洲から逃れた邦人も含め約4万人がいました。

8月9日、ソ連軍機械化部隊が、日ソ中立条約を破り、満洲に、不法に侵入して大変な騒ぎになりました。当時のソ連軍や毛沢東共産軍、蒋介石国民党軍は、一般人に対する乱暴狼藉、殺人は当たり前で、それを知っていた当時の日本人は恐怖に包まれたような状態でした。このようなとき、内蒙古の南の端の首都張家口の放送局で、8月15日の終戦命令の玉音放送が流れたあと、根本中将が放送された訓示を読みます。

みなさん、日本は、戦争に敗れ、降伏いたしました。皆さんは、今後の事を心配していると思います。しかし、我が部下は健在であります。わが軍は、私の命令が無い限り、勝手に武器を捨てたり、任務を放棄したりするものは一人もおりません。心を安んじてください。公民及び邦人は、決して心配したり、騒いだりする必要はありません。私は上司の命令と国際法規によって行動します。きょうみん疆民及び邦人の生命は、私と私の部下が身命を賭して守り抜きます、皆さんは軍の指導を信頼し、その指導にしたがって行動されるよう強く希望するものであります。

 どうですかみなさん、日本政府や軍上層部からの降伏命令に逆らって、邦人を屋根のない無蓋列車で送り続ける間ソ連の戦車部隊と戦闘を続け、邦人が脱出後日本軍は退却します。トランプ大統領は、今回のアフガニスタン撤退で、バイデン大統領や統合参謀本部議長を、民間人よりも早く軍隊が撤退したと何度も批難しました。しかし、76年前に私たちの日本には、このような軍人が他にもいたのです。関東軍下道大尉の部隊です。しかし、満洲では関東軍の多くは降伏、武装解除したため、多くの悲劇が生まれてしまいました。戦争の終わり方は今のアフガニスタンをみても分かります。始めるよりも終わらせることの方が何倍も難しいのです。

今回の外務省の方針と根本中将や下道大尉の決断を比べますと、天と地の開きがあるように思えるのはわたくしだけでしょうか。もちろん外務省は軍隊ではありませんから、タリバンから邦人を守れと言っても、できるわけはありません。しかし、直ちに自衛隊機と部隊の派遣を要請することをなぜしなかったのでしょうか。現地政府の了解など、取れるわけがありません。これでは、他の地域で何か起こった場合、日本大使館は何もしてくれないので、アメリカ大使館に逃げ込んだ方がよいということになってしまいます。実際に日本大使館を頼るな、とおっしゃる危機管理の専門家の方もいらっしゃいます。それでは終わります。みなさん、さようなら。