手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

中学歴史教科書 自由社 VS 学び舎 アジアの欧米植民地が独立した理由


「大人が知らない教科書の違い」【アジアの欧米植民地が独立した理由】

第7回【アジアの欧米植民地独立が独立した理由】

 学び舎は、267Pで、アジアの独立についてわずか3行の記述と、コラムでインドネシアの独立を説明しています。しかし、よく読むと、このコラムも独立の説明部分は「オランダ領東インドでは、日本軍の占領下でも独立を求める運動が起こり、1945年8月17日、指導者スカルノらが、インドネシア共和国の独立を宣言した」これだけの記述です。生徒諸君、ご父兄のみなさまわかりますか?みなさまのご理解は、どうもアジアの国々は次々と独立したらしい。インドネシアは、4年も独立戦争がつづいたらしい。日本は現地で悪い事ばかりした。これくらいでしょうか。同じページには、米軍基地に反対する農民たちのモノクロ写真と側中に「賠償を求めたアジア諸国」があります。これでは、欧米の植民地が独立してよかった、米軍基地反対運動はむかしからあったんだ。日本は、侵略戦争をしたから倍書金を払ったんだ。だいたい、こんなことを歴史として学ぶのでしょうか。

それではこんどは、自由社の教科書を見てみましょう258Pです。右上にこの表があります。

日本の国家賠償とその他の経済援助の表です。学び舎の側中の賠償を求めたアジア諸国と見比べてください。学び舎は、この自由社の表の中の一部の国だけで説明をしていることがわかります。もちろん賠償とは、戦争に勝った国が負けた国に要求する習わしで、負けた方の支払いは大変ですが、戦争にはお金がかかります。かつては日清戦争で、日本は、清国から賠償金を取りました。第1次世界大戦は、戦勝国が負けたドイツに多額の賠償金を要求しました。これは戦争が終わった時のけじめです。日本は賠償金を立派に支払い、さらに無償有償の経済援助までしているのです。独立したばかりの国は、国家建設のためお金が必要だからです。学び舎はここを説明しません。

 次は240Pです。小さい見出しで、「アジアに広がる独立への願望」で日本の初戦の勝利は、白人の植民地支配に苦しんできた東南アジアやインドの人々に、独立への夢と希望を与えた。と記述しています。同じく小見出し「大東亜会議」では、以前からアジア各地の独立運動家が日本に亡命し、多くの日本人がこれを支援していたとあります。

また、「アジア諸国と日本」では、「日本は、占領各地で軍政をしいた。小学校や技術訓練の学校を設立し、民衆をふるい立たせる教育も実施した。」と記述しています。241Pを見てみます。「アジアを奮い立たせた日本の行動」と「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」が写真とともにあります。

これだけではありません。246Pと247Pの2ページのコラム、外の目からみた日本では、

日本は、「自存を目的として、戦争がはじまると直ちに資源獲得のために、当時オランダやイギリスの植民地になっていた東南アジアに軍をすすめました。」と自由社は、日本の南進を明確に記述しています。もちろん軍を進める前にはオランダと石油の輸入交渉をしましたが断られました。また、仏印進駐もフランスの了解を得てからしました。当時の日本からすれば侵略などではなく、フランスの合意で行われたことなのです。

ちょっと横道にそれますが、この自存という意味は、日本が生きてゆくという意味です。つまり日本人が暮らしていくという意味です。自存が脅かされると日本に住む人々は暮らしが成り立ちません。会社は倒産し、人々は職を失い、餓死者が出るかもしれません。いや出るでしょう。そうならないようにするのが政府の責任です。先ほどの自由社の教科書にある、日本は自存を目的として、とはこのことを意味します。そして戦犯として裁かれた東条英機元首相とマッカーサー元帥のお二人ががまったく同じことを言っているのです。

 東条元首相の東京裁判の時の宣誓供述書を要約してみるとこの3つです。

1. 大東亜戦争は自衛のための戦争であったこと

2. 天皇陛下には戦争の責任が一切ないこと

3. 大東亜戦争は東亜民族の解放戦争であったこと

そしてこれはアメリカ上院軍事外交合同委員会という公式の場でマッカーサーが証言した一部を抜き書きしたものです。

Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.

彼らが戦争をした動機は、だいたいが安全保障のためだったと、言っています。

マッカーサーも1000万から1200万人の失業者が発生するだろうことを彼らは恐れていましたと言っています。今回の武漢コロナ被害について、数量政策学者の高橋洋一教授によれば

ある程度定量的に分析が可能で、仮にコロナショックでGDPの3~4割が失われ、有効需要創出の政策をまったく行わなかった場合、失業率は4%程度、失業者は250万人程度、そして自殺者は1万人程度増加すると試算できるとおっしゃっています。マッカーサーのいう失業者1000から1200万人がいかにすごい数字化お分かりいただけたでしょうか。自殺者は4倍の4万人以上です。当時の日本政府の政策は自存、つまり政府も国民も戦って生き延びることを選んだといえるのではないでしょうか。だれが首相であっても英米との戦争は避けられなかったのではないでしょうか。

詳しくは、youtube「戦争とスパイ」をご覧ください。

もとに戻りますと、次に「インドの独立と日本軍」では、インドが長くイギリスの植民地にされていましたが、インド独立のための国民軍を日本軍がつくったことが書かれています。そして、「世界が見た大東亜戦争」では、ミャンマーの初代首相の著書「ビルマの夜明け」には日本の植民地解放の功績をたたえているとを紹介しています。またタイの元首相が「日本のお陰でアジア諸国はすべて独立したと述べていたことが書かれています。

さあ、どうですか、学び舎で学習した、アジアの独立と自由社で学習したアジアの独立は、大きな違いがあること、全くといってよいほど、見方が違うことをご理解いただけましたでしょうか?

自由社241Pの則注3をご覧ください。読みます。・・・

インドネシアでは、約1000名の元日本兵が残留し、インドネシアの独立のために、PETAとともに4年半にわたって戦った。この独立戦争で約700人の元日本兵が戦死した。どうですか?皆帰ろうと思えば日本に帰れたのですが、戻ってくるオランダ軍と必ず戦うことになる訓練をした教え子たちを見捨てることはできなかったのでしょう。日本人なら理解できると思います。この辺のことは246P「アジアをおおう独立の波」に詳しく書かれています。読みます。日本が連合国に降伏すると、欧米諸国は、日本の占領下にあった、ビルマミャンマー)、マレー)、マレーシア、

インドネシアに再び支配しようと戻ってきました。しかし、日本軍によって指導を受けていた人をはじめ、これらの諸国の人々は、勇敢に戦い、再度の支配をはねのけました。インドネシアは、日本の占領中は独立を認められませんでした。戦後多くの日本の兵士が現地に残りインドネシアの人たちとともに独立のために戦いました。日本軍は、ベトナムカンボジアラオス、からなる仏領インドシナにもフランス政府の了解を得て、進駐しました。この地域でも、日本が降伏後、多くの日本兵が現地に残り、これらの国の人々と一緒に独立戦争を戦いました。

これは先の天皇皇后両陛下がベトナムをご訪問されたときのお写真です。両陛下がお言葉をかけられている相手は、戦争が終わってもベトナムに残り、戻ってきたフランス軍と戦った元日本軍将兵のご遺族です。

 みなさん、学び舎と自由社の違いがお分かりになりましたか? この動画は教科書の違いを明らかにすることで、どちらの教科書がよいとか悪いとか決めるものではありません。

お決めになるのはみなさんです。