手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

最門司さくらの憂国日記

最門司さくらの憂国日記 教育か洗脳か

こんにちは、わたくしは、最門司さくら、高校三年生です。塾の講師をしています。さくらの憂国日記は、ネット上の情報の中から、気になった情報を取り上げて論評します。我が国では、憲法の陰に隠れて、自分さえ安全ならば、拉致、尖閣竹島北方領土、その他について戦争反対といえば、一人前とみられるかもしれません。でも一歩海外に出て、話してみれば子ども扱いされてしまうのではないでしょうか。

あるブログのタイトルに、このようなものがありました。「75回目の終戦の日に考える「平和主義と「基本的人権の尊重の、重要な関係」。ブログをおかきになったかたは、たぶん先生でしょう。「基本的人権を、本気で守ったら戦争なんかできない」とおっしゃっています。本当にそうでしょうか。皆さんはどうおもわれますか?

先生は、また「例えば、戦争は人々の人権を、容易に奪ってしまいますし、逆に基本的人権が守られることで、戦争のない社会につながるのです」ともおっしゃっています。これは、よく耳にするお花畑の物語ではないでしょうか。学校という閉鎖空間の中に、長くいると現実の世界が、見えなくなってしまうのでしょうか。あるいは、それは百も承知で、子供たちを、教育の名を借りて洗脳するために、無理を承知で教えているのでしょうか

それでは、ブログが引用した、ある中学校の入学試験問題を見てみましょう。実際には引用のまた引用です。ある学習塾が最初に引用して、それをまたこの先生がほめたたえて引用したものです。レポートの感想を読んで問に答えなさい。私は、「基本的人権が守られることで、戦争のない社会につながるのではないか」と考えました。憲法の平和主義と基本的人権の尊重は、つながっているのだと思いました。

問5 基本的人権を守ることが、なぜ戦争のない社会につながると考えられるのか、次の資料のいずれかにふれて説明しなさい。問題がおかしいと、当然答えも、おかしな答えにならざるを得ません。学校側の満足のいく「正解を書けた受験生は、1割程度だったらしいのです。それはそうでしょう。9割以上は、まともな小学生だったのですから。でも入学したらこんな授業をされて、まともな生徒もおかしくされてしまうのでしょうか。

子供たちは、答えを書くために、むりやり「権利と「戦争がない社会とを、結びつけなければなりません。これは明らかに、9条を守れとは、いっていませんが、戦争反対、平和、9条を守れという、例の思想を子供に刷り込む工作、といってもよいのではないでしょうか。単なる偏向教育で、すまされる問題ではありません。もはやこれは社会問題、といっても過言ではないでしょう。

この中学校だけではなく、日本中の多くの中学・高校で、このような社会科の授業が、行われているのではないでしょうか。皆さまのまわりでは、いかがですか?

基本的人権をまもることは、戦争のない社会に、つながることは絶対にありません。北朝鮮のミサイルで秋田の小学校は、避難訓練をしなければならなかったそうです。戦後日本は、ずっと戦争のない社会でした。それにもかかわらず、北朝鮮に拉致された、横田めぐみさんや数百人と言われる、拉致被害者基本的人権は守られなかったのです。

それどころか、避難訓練に反対する人々も少数ですが、いたことも事実です。この人たちが、避難訓練に反対する理由は、「避難訓練は、戦争に人々を動員することだ」とか「話し合いや、外交で解決すべきだ」と言っていました。これは、なんでも戦争反対という、言い古された言い訳のようにきこえますし、ミサイルを日本に発射した国の肩をもつようにも聞こえます。これは共産党赤旗のその時のホームページです。

石垣島の漁師さんたちは、尖閣周辺で漁をすると、中国の公船に追いかけられ、漁ができなくて困っています。国が、漁師さんたちの人権を、本気で守ろうとして、中国の公船を、追い払う行為をすると、どうなるでしょう。中国の公船は、機関砲で武装しています。これを一発触発と言います。これは、わが国だけではありません。インドネシアでは、中国の漁船を領海侵犯で拿捕してから、爆破してしまいました。

ベトナムでは、漁船が中国公船に体当たりされて、数回沈没させられています。どの国も漁師さんの人権を本気で守ろうとすると、一発触発ですから、戦争になる危険があるのです。

石垣の漁師さんは、憲法に定められた勤労の義務を果たし、仕事をして家族を養おうとする、勤労の権利や経済活動の自由を、中国当局に侵害されています。漁師さんたちや、秋田の小学生、拉致事件の被害者の基本的人権を、国が本気で守ろうとすると、戦争になる危険を覚悟しなければならないことを、ご理解いただけるとおもいます。私たちは、その覚悟ができているのでしょうか。憲法の陰にかくれているのではないでしょうか。

基本的人権と平和を、無理やりこじつけて、反戦イデオロギーを子供に植え付ける、偏った社会科の授業は、あらためなければなりません。なぜこのような、間違った授業がおこなわれているのでしょうか。それは社会科の、多くの公民教科書に、安全保障の単元がないというのも、重要な一つの理由だと私は思います。

文部科学省 学習指導要領(4)私たちと国際社会の諸課題には、我が国の安全と防衛、及び国際貢献について、考えさせるとともに,核兵器などの脅威に着目させ,戦争を防止し,世界平和を確立するための、熱意と協力の態度を育てる。とあります。しかし、これを忠実に守っている教科書は、自由社以外はありません。自由社の公民の教科書には、安全保障について詳しく記述されているからです。

わたくしたちのご先祖は、文字通り尊い血を流して、この国を外敵から守ってきたという歴史があります。しかし、今の子供たちは、学校でも家でも、平和は、あせと血を流す努力をしなければ、得られないことを、学ぶことができません。私も、いままで学校で教わったことは、一度もありませんでした。自由社の公民教科書をよんではじめて、安全保障を知ったのです。基本的人権は、最低限、国家が無ければ守ってもらえません。

さらにその国家は、外国の侵略や恫喝、強要に負けないくらい、強い国家でなければ、自国民の基本的人権はもちろん、命さえ守れないことは、いままでお話ししたことで、お分かりいただけるのではないでしょうか。ご父兄、保護者の方々は、お子様が学校で、どんな授業を受けているか、どうか関心を持ってください。みなさんが関心を持てば、教室のおかしな授業は、今よりもずっと少なくなるはずです。

残念なことですが、この地球という惑星では、平和という言葉を千回唱えても、平和は来てくれません。どんなに豊かな国でも、戦う勇気がない国は、しらない間に、戦う国に、見下され、おどされ、奪われていきます。お金や技術だけではなく、心まで奪われてしまう人もいます。見たくない、聞きたくないことではありますが、それが今の現実です。

私たちは、自国の安全保障を高めるとともに、この尊い国を、歴史や伝統、文化とともに、子孫に伝えていくには、どうすればよいか、一人一人が考える必要があるのではないでしょうか。それでは、さくらの憂国日記を終わります。最後までご視聴ありがとうございました。よろしければチャンネル登録をお願いします。またおあいしましょうね。さようなら

 


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