手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

「桜の憂国日記」【佐久間艇長】道徳・歴史のガラパゴス


「最門司さくらの憂国日記」【佐久間艇長】道徳・歴史のガラパゴス  戦前の修身の12の文章と文科省の道徳の学習指導要領、5学年、6学年を対比してみました。

 日教組の先生がたが、道徳教育にいろいろな理由をつけて反対してきたこともこれでよくわかります。日本を壊して、自分たちにとって理想的な社会を作りたいのでしょう。しかし、少数のそのような先生方に教育を任せるわけにはいきません。

戦前のすべてを、暗黒の時代、軍部が独走して侵略戦争をしたといって、切り捨てるやり方が、かえって日本の教育を、ガラパゴス化させ、大人になってから恥をかくことを、学校の先生や教育行政は、まだお気づきになっていないようです。気づいているのはその商社マンや海外に駐在している会社員とその家族でしょう。日本の教育現場では、世界を見ない、独特の閉鎖環境で、多文化共生といい、陰で日本文化や伝統を否定しているようです。特に道徳と歴史教育が、独自の進化ではなく、退化してしまっているのではないでしょうか。

  今回は、「13歳からの道徳教科書」という本に書かれている、佐久間艇長についてのお話しです。日本には、商社という種類の会社があります。大手の商社を総合商社とも言います。そこで働く商社マンとは、ラーメンからミサイルまで取り扱う、総合商社の営業マンです。海千山千の、生き馬の目を抜くと形容され、彼らの通ったあとは、ぺんぺん草も生えないと、言われたことがあります。
 砂糖の代わりの甘味料の原料は、甘い草とかいて甘草といいます。これは荒れ果てた、砂漠地帯に生えている草で、誰も見向きもしませんでした。商社はこれで、砂糖の代わりの甘味料を作り、日本人は、カロリーゼロということでコーヒー、紅茶に入れて飲んでいます。砂糖の50倍以上の甘みがあるそうです。
 こんなやり手の商社マンは、世界中に進出しているわけですが、イギリスで、あるビジネスマンと食事をすることになりました。このビジネスマンは、ロイヤルネイビー出身者でした。つまり元、女王陛下の海軍士官です。かれは日本から来た、商社マンということで「佐久間艇長」の話を始めました。ところがさすがの商社マンでも、佐久間艇長、佐久間大尉、1910年、潜水艇が、何のことかわからなかったそうです。その後この商談が成功したかどうかわかりませんが、この日本人のやり手の商社マンが、相手から見て失望に値する人物であったことは間違いないでしょう。この「佐久間艇長」の遺書のコピーが、イギリスでは、王室海軍潜水資料館で、アメリカでは、国会議事堂の大広間のガラス戸棚に展示されているそうです。このロヤル・ネイビー出身の紳士にとって、「佐久間艇長」は海軍士官学校で教えられ、そこで感動した話ですから、艇長と同じ日本人の意見を訊いてみたかったのでしょう。

【戦後教育の一つの欠陥】

大学出の海千山千の商社マンでも「佐久間艇長」の遺書の話を知りませんでした。そしてイギリスで、大恥をかいてしまったのです。これは戦後教育の一つの欠陥の現れではないでしょうか。

道徳や歴史教育に限っていえば、もはや日本の教育は、ガラパゴスになって世界から置いてきぼりにされたのではないでしょうか。いまではもう世界に通用しない、日本だけの教育ではないでしょうか。戦前の教科書には、この話が載っていて、小学生はみな知っていたそうです。

ところでなぜ、戦前の小学校の道徳教科書には載っていて、今の教科書には、のっていないのでしょうか。理由は簡単です。大東亜戦争の敗戦後一時期、修身、国史、地理の教育が禁止されてから、戦前の教育はすべて悪い、軍国主義だという、教育界に独善的な判断が今でもあるからです。それでもようやく、平成30年から、小学校で道徳が正式教科として実施されるようになりました。そもそも道徳とはいったい何でしょうか。

渡辺昇一先生は、「13歳からの道徳教科書」で道徳を次のように述べておられます。

ギリシャ、ローマもありますが、そこには、古代アテネギリシャ人やローマ帝国のローマ人はもはやいないのです。古代ギリシャ・ローマはもはや続いていないのです。一方今も残るゲルマン民族などは非常に家系を重んじたというのです。現存するヨーロッパで有名な家には祖先からの系図が残っています。では、日本はどうかというとやはり神話の時代からの系図を重要視してきました。このように家をおもんじるという精神が指導者階級にあったから、日本は今まで続いてきたのではないでしょうか。そのためにいろいろな道徳がうまれ、これらが日本の道徳の起源になったのだと思います。このように道徳とは、ある民族が、未来までずっと続き、繁栄していくためにつくられた、みんなが納得できる決まりであると言えましょう。」

 

修身や道徳の理念が廃止されたり、全く別の理念に変えられたりすると民族や国家は永続しなくなるのではないでしょうか。ここで戦前の修身の12の文章と文科省の道徳の学習指導要領、5学年、6学年を対比してみました。修身の文章は、全部で僅か400文字くらいです。

修身、1.親に孝行をつくしましょう 文科省、父母,祖父母を敬愛し,家族の幸せを求めて,進んで役に立つことをする。

修身2.兄弟姉妹は仲良くしましょう 文科省、だれに対しても思いやりの心をもち,相手の立場に立って親切にする。

修身3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう 上と同じで、文科省だれに対しても思いやりの心をもち,相手の立場に立って親切にする。
修身4.ともだちはお互いに信じあってつきあいましょう、文科省、互いに信頼し,学び合って友情を深め,男女仲よく協力し助け合う。

修身5.自分の言動をつつしみましょう、 文科省、謙虚な心をもち,広い心で自分と異なる意見や立場を大切にする。

修身6.広くすべての人に愛の手をさしのべましょう 文科省、だれに対しても思いやりの心をもち,相手の立場に立って親切にする。
 修身7.勉学に励み、職業を身につけましょう、文科省、働くことの意義を理解し,社会に奉仕する喜びを知って公共のために役に立つことをする。

修身8.知識を養い才能をのばしましょう、 文科省、真理を大切にし,進んで新しいものを求め,工夫して生活をよりよくする。

修身9.人格の向上につとめましょう 文科省、自分の特徴を知って,悪い所を改めよい所を積極的に伸ばす。
修身10.ひろく世の人々や社会のためになる仕事にはげみましょう、文科省、働くことの意義を理解し,社会に奉仕する喜びを知って公共のために役に立つことをする。

修身11.法律や規則を守り社会の秩序にしたがいましょう、文科省、公徳心をもって法やきまりを守り,自他の権利を大切にし進んで義務を果たす。

修身12.正しい勇気をもってくにのため真心をつくしましょう、文科省、身近な集団に進んで参加し,自分の役割を自覚し,協力して主体的に責任を果たす。

 

みなさん、修身と文科省、道徳の学習指導要領とどちらがわかりやすいですか。どちらが簡潔明瞭で、覚えやすく、すぐれているかすぐにわかりますね。

 それではもう一度佐久間艇長の遺書に戻ります。

実はちょうど同じころイギリス海軍でも同じような潜水艇の事故が起き、乗員が我先に入口に殺到して折り重なった状態で引き上げられました。日本でも同じことが起きているだろうと皆思っていました。ところが第六潜水艇の場合は、違いました。13名全員が、それぞれ、も持ち場についた状態で絶命していました。さらに官長の佐久間大尉31歳は、手帳に39ページにわたり鉛筆で遺書を残していました。読みます「小官の不注意により、陛下の艇を沈め、部下を殺す、まことに申し訳なし、されど艇員一同、死に至るまで皆よろしくその職を守り、沈着に事を処セリ、我らは国家のため、職にたおれしと言えども、ただただ遺憾とするところは、天下の士はこれを誤りもって、将来潜水艦の発展に打撃をあたうるに至らざるやを憂うるにあり。省略します、謹んで陛下に申す、我が部下の遺族をして、窮するもの無からしめ賜らんことを、我が念頭にかかるものこれあるのみ、・・・省略します。12時30分呼吸非常に苦しい、ガソリンをブローアウトせしし、つもりなれども、ガソリンにようた、ひとつ、中野大佐、12時40分なり、筆は、ここで途絶えています。この話は、外国人特派員から海外に伝わり世界の多くの人々が感動しました。

東京書籍によく戦争反対の象徴のように取り上げられる、歌人与謝野明子も、この事故に心を動かされた一人です。勇ましき 佐久間大尉とその部下は 海国の子に たがわずて死ぬ」とうたいました。また、夏目漱石も感動した一人だったのです。

今の道徳教科書で、皆さまのお子様に、感動することがあるかどうか、聞いてみてはいかがでしょうか。そしてご父兄、保護者の皆様もぜひ道徳や歴史の教科書に目を通してみてください。この動画をご覧になって、もし何かお感じいただければ、副読本として「13歳からの道徳教科書」や自由社の中学歴史教科書を、お子様に学ばせてはいかがでしょうか。私たちは小学生高学年から使っています。

「おとなが知らない各社教科書の違い」戦争とスパイ


「大人が知らない教科書の違い」戦争とスパイ 今回は、だれが日本の総理大臣でもあの戦争、支那事変(日中戦争)と大東亜戦争(太平洋戦争)は、避けることはできなかったのではというお話です。

第6回 大人が知らない教科書の違い【戦争とスパイ】

支那事変(日中戦争)については、youtube動画「大人が知らない教科書の違い」【中国の台頭と米中激突】でおはなししていますのでそちらをご覧ください。URLはコメント欄に記載しています。

多くの歴史教科書の記述は、一言でいえば、あの戦争は、侵略戦争で、軍部が独走したというイメージをいだかせるような記述になっています。マスコミの論調も同じで、もはやテンプレートになっています。例えば、学び舎238ページでは以下のように記述されています。「日本は、石油など戦争に必要な資源獲得のために、東南アジアへの進出をめざしました。・・このことは米英との対立を深めました。1941年、アメリカは、日本に対する石油の輸出を禁止し、日本軍は中国とインドシナから撤退すべきだと外交交渉で要求しました。日本はこれを拒否して、米英に宣戦布告したのです」と。しかし、どの教科書も大事なことが書かれていません。当時も今も日本は、石油を輸入に頼っています。なんと当時は、アメリカから輸入していました。石炭で軍艦が動く時代は、日本海軍は世界最強の海軍でした。しかし、石油の時代になってからは重油がなければ軍艦は動きません。航空機ガソリンもアメリカから輸入していました。少し考えればお分かりいただけると思いますが、石油や航空機ガソリンを売ってくれている相手に戦争を仕掛ければどうなるでしょう。つまり日本にとっては、アメリカと戦争をせず、経済的関係を深くすることが当時重要だったはずです。しかし、相手があることですから、いくらこちらが仲良くしようと思っても相手がいじめてやろうと思ったら付き合うのは容易ではありません。話は、日露戦争が終わったところまで遡ります。

明治41年、1908年10月16隻の戦艦からなるアメリカ大西洋艦隊が、世界一周の航海の途中、日本にやってきます。当時の日本は全部で9隻の戦艦ですからこれは大艦隊です。日本政府はこれを威嚇外交と察知しましたが、外交儀礼上歓大迎しました。アメリカは、フィリピンを植民地としていましたから、日露戦争に勝った日本は、太平洋をはさんだライバルになったのです。

1913年カリフォルニア州で、日本人が新たに土地を購入することをできなくする、排日土地法が制定されます。この年の選挙ポスターには、排日のsailent invasionのキャッチが使われます。

1920年、日本もイギリスも破棄を望んでいませんでしたが、アメリカの強い意向で、20年間続いた日英同盟が破棄されました。これにより日本は単独でアメリカの軍事力に対抗しなければならなくなりました。

大正13年1924年には、排日移民法が成立し、アメリカは、日本人の移民を全面的に禁止にしました。これには日本の世論も怒りました。

1929年、ニューヨーク株式市場が大暴落して世界恐慌が始まりました。欧米諸国は、植民地を持っているので地域をブロック化し、外国の製品に高い関税をかけて締め出しました。物が売れなくなると会社や工場は苦しくなり、失業者が増えてしまいます。日本も欧米と同じように、製品の輸出先を確保するため、東アジアに独自の経済圏を確立しようとしました。

昭和13年1938年東亜新秩序構想を近衛文麿首相が発表します。不況が長引くアメリカは、これに強く反発し、認めませんでした。Win winではなく、アメリカが失業者を減らすか、日本が失業者を減らすかです。1年前の1937年8月13日には、日本がむりやり戦争に押し込まれ、日支紛争(支那事変)が始まっていました。これは当時上海にいたニュヨークタイムズ特派員が報じた内容です。・・・この発表以後アメリカは公然と蒋介石を支援します。日米戦争の種がまかれました。

1939年アメリカは日米通商条約を延長しないと圧力をかけてきました。石油をはじめ多くの物資をアメリカから輸入していた日本はたちまち苦しい立場に追い込まれます。このままですとアメリ

カの輸出業者も苦しくなりますが、日本はそれを加工して輸出して外貨を稼いでいるのでそれがで

きなくなります。町は失業者であふれるのは目に見えています。

同じ1939年ドイツはソ連と不可侵条約を結んだ上で、ポーラント侵略します。ここでドイツとソ連は、密約した通り、ポーランドを分割しました。英仏はドイツに宣戦布告、第二次世界大戦がはじまります。

1940ドイツの勝利を受けて、日本は、日独伊三国同盟を締結します。しかし、遠いヨーロッパの2国との軍事同盟は、実質的効果はなく、イギリスを支援するアメリカとの関係を決定的に悪化させました。米国は中国にフライイング・タイガーズという戦闘機部隊を送り込み、日本軍の隼と空中戦をするわけです。まだ日米開戦前です。ここで日本は、外交的に守勢に立たされます。

1941年ソ連と日ソ中立条約を結び、これと三国同盟の2つの条約の圧力で、アメリカから譲歩を引き出そうとします。しかし、ドイツがソ連に侵攻し、ソ連は連合国側に加わり日本の狙いは破綻します。こうしてみると、日本外交はなんと戦略のない、場当たり的な拙いものかと言いたくなるほどです。ここで日本は、詰んでしまいます。あとはアメリカが仕上げに、石油の輸出を禁止すれば終わりです。日本はあわててインドネシアに油田を持つ、オランダと輸入交渉を始めます。でもアメリカが手を回していますから交渉は成功しません。これから日米交渉が始まるのですが、もう外交的に詰んでる日本を、アメリカは相手にしません。戦争準備は、だいたいできているわけです。ソ連のスパイ、ホワイトが書いたといわれるハル・ノートを日本に渡して日米交渉は終わります。

失敗の原因は、ドイツとソ連を信じてしまったことと、何よりも当初の作戦計画の通りにしなかったことではないでしょうか。戦争は、決定するまでの間は、なんとか戦争を回避する方法を政治的に、外交的に模索します。しかし、いざ開戦となったら直ちに戦闘をしなければならない担当部署は、いつ開戦決定がなされてもいいように、常日頃作戦計画を事前に立てておかなければなりません。立てていなければ仕事をしていないわけです。当たり前ですが、その作戦計画が実施されなければそれに越したことはありません。ついでに申し上げますと満州事変後、北支から入るテロリスト、工作員蒋介石の北伐軍の略奪から人々をどう守るかも、陸軍の仕事でしたから命令があればこう実行しますというA案、B案、C案を作っておくことも関東軍の仕事です。その中には「北支那占領地統治計画」というものもあるわけですが、あくまでも計画書であってこれをもって、直ちに侵略したことはならないわけです。尖閣諸島が偽装中国漁船に占領されたとき、自衛隊や海保はどうするかという作戦計画は、当然あるでしょう。なければ仕事をしていないわけです。日本も米国も戦争する前から担当部署は、作戦計画書を用意していました。わが国は「帝国国策遂行要領」(1941 年11 月1)と「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」(1941 年11 月15)です。米国側の文書は「勝利計画」(Victory Plan or Program、1941 年9 月)です。これらの内容はここでは論じません。ただ言えることは、アメリカは作戦計画とおり実行して戦争に勝ち、日本は、計画とは乖離した作戦を無理に実行し負けたということです。日本の計画では、長期自給の体制を整備し、引き分けか、少なくても負けない体制を作るというものでした。しかし、実際は短期決戦をして、海軍は、ミッドウエーで、虎の子の空母を失ってしまいます。

しかし、誰が総理大臣であっても、いろいろな方面から工作がなされ、こうなってしまったのでしょう。スパイの工作は公文書公開でも出てきません。わずかに特高警察がとらえた、近衛内閣側近、朝日新聞の元記者尾崎ほつみとソ連のスパイだった、ゾルゲなどの名前が明らかにされているくらいです。内閣の側近にまでスパイが入り込んでいたくらいですから、陸軍省海軍省の軍官僚の中にもいたでしょう。国策の誘導も不可能ではありません。当時もいまも、なぜか外国スパイの手先になる日本人が多いのは情けないことです。この国のゆくべき道を再び誤ることがないように願うばかりです。

 

中国の台頭と米中激突


中国の台頭と米中激突

あの時英米が、もっと賢く、日本をたたかず、日本と協調していれば、あの時とは支那事変や大東亜戦争です。中国もソ連・ロシアも朝鮮半島もこうはならず、東アジアは今よりも平和であったと考えることも可能ではないでしょうか。拉致などおこりようもなかったはずです。少なくともアメリカは、軍拡と覇権をむき出しにする中国に頭を悩ますことはなかったでしょう。しかし、アジアの植民地は、いまでもそのままかもしれません。英米が賢かったならば、多くの日本人の犠牲と植民地の独立はなかったかもしれない。歴史の結果はその逆で、多くの日本人の犠牲と、アジア諸国の植民地支配からの独立でした。自由社には272Pと273Pで朝鮮半島と日本の小見出しで「朝鮮半島は、近代日本の国防の焦点だったが、北朝鮮では、今でも朝鮮労働党と金一族の専制支配のもと、核とミサイル開発を進め、東アジアの不安定要因となっている」と記述しています。こうなったのは日本の責任ではありません。ここはまず、アメリカ自身に頑張ってもらうことが大事ではないでしょうか。

 

さくらの憂国日記」 安倍首相辞任とこれから


「最門司さくらの憂国日記」安倍首相辞任の衝撃   第一次安倍政権の1年と第2次政権の7年8か月に安倍首相は、何をしてこられたのかあまり正しく知らされてきませんでした。歴史認識の改善、安全保障の強化sakurano

第2回 安倍首相辞任の衝撃とこれから

8月28日、午後1時過ぎに、安倍首相辞任という突然の報道で、多くの国民の間に衝撃が走りました。それは翌日のツイッターを見ただけでも、数多くの著名人の方が「ご苦労様でした」とか「ご健康の回復を祈ります」とか発信していましたのでわかります。第二次安倍政権は、7年8か月という長期政権でした。これに比べればそれ以前の政権は、首相が1年くらいで交代する短期政権といえるでしょう。議員の先生方はべつにしても、国民の多くも諸外国の首脳も、またかという感じではなかったでしょうか。ではなぜ多くの国民は、安倍首相の辞任に衝撃をうけたのでしょうか。それは一言でいえば、突然先が見えなくなったという不安によるものではないでしょうか。安倍首相の7年8か月の長期政権下で、米国トランプ大統領から厚い信頼を寄せられていることが、国民にもそれとなく伝わっていました。だからこそ、北朝鮮弾道ミサイルが、何度か、わが国の接続水域内や近くに落下しても、また、中国の公船が領海侵犯をくりかえしたり、石垣島の漁船を追いかけたりしても、国民の多くは、それほど心配をしていなかったのではないでしょうか。もちろん漁師さんにとっては重大な問題ですが。国民は、何となく、安倍首相とトランプ大統領がいる間は、これ以上の大ごとにはならないだろうという安心のようなものを感じていたのではないでしょうか。さらに国内経済では、失業率が、民主党時代よりも大幅に改善し、株価も上がり、デフレ脱却まではいかないけれど、そうじてまあまあだなと感じていたのではないでしょうか。

ところが、突然辞任のニュースが流れ、えっ、今後日本は、大丈夫だろうか?という今までの安心感が一瞬で不安に変わったのではないでしょうか。

もちろん、全く逆の反応をしめした、朝日新聞などや、国民も少なからずいらっしゃいました。この人たちの反応もツイッターなどネット上で見ることができます。安倍首相辞任を衝撃ではなく、密かに喜びながら批判するといってもよい表現が見られます。中には、安倍政権を振り返って、徹底的に批判する人もおられました。

例えば「安保法制、森友学園加計学園、米国製武器爆買いとか、拉致事件は、ほぼ何も前進しなかったとか、コロナ対応は後手」と」、容赦なく批判しています。

横田めぐみさんの母上、早紀江様が、「拉致事件の解決へ本当に頑張ってこられた。悲しく、残念です」「安倍首相の後を継ぐ方、すべての政治家、政府が、国民、国家を守るという原点に立ち返り、拉致解決に全力を尽くしていただきたい」と訴えたという新聞報道が、この方は目にとまらなかったのでしょうか。

安倍政権をみる目がちがうのか、みる角度が違うのかわかりませんが、批判するひとに共通することは、徹底的に批判し、何一つ評価する点を挙げないことです。たとえば「これだけの長期政権なんで、功罪両方あるというふうに申し上げたいんですけども、個人的には罪があまりに大きかったなと」こんな言い方をされる人もいます。

安倍首相の箸の上げ下ろしまで文句をつけそうな人たちです。朝日新聞を筆頭に、一部のテレビのコメンテイター、大学教授、タレントさん達もそうです。安倍首相の辞任に衝撃を受け、「ごくろうさまでした、ご健康の回復を祈ります」と発信する人がいれば、辞任の理由にまでケチをつけ批判する人もいます。どちらが正しいか、いえ、それよりもまず人として、一国の首相の健康による辞任になんと発信すべきか、考えさせる出来事です。やはりその人の、人となりが文章に現れるのでしょうか。

朝日新聞毎日新聞などのモリカケ桜を見る会などの報道から、安倍首相と夫人は、怪しいと思っておられるひとがいるかもしれません。私の近くにもそのようなお年寄りがいます。では、反安倍派の社会主義勢力は、なぜ安倍首相を嫌い、安倍内閣の足を引っ張ることをいろいろ仕掛けてきたのでしょうか?国民の多くは、第一次安倍政権の1年と第2次政権の7年8か月に安倍首相は、何をしてこられたのかあまり正しく知らされてきませんでした。新聞、テレビが報道しない、あるいは報道しても、小さく扱ったり、それは国民にとって悪いことだと反対してきたからです。それでも多くの国民は、先ほど申し上げましたように、何となく理解して安心していたのです。

安倍首相は、在任中、実際多くのお仕事をされてきましたが、一見してあきらかなことがあります。それは、歴史認識の改善と、わが国の安全保障の強化です。二つともいわゆる反安倍勢力にとっては、とんでもない、許しがたい上、間違った政策です。私は反安倍という言い方では、本質がわかりませんので、ずばり社会主義勢力と言います。共産主義勢力と言っても同じ意味です。

教育基本法の改正、これは第1次安倍政権の時でした。この第2条5項には、あらたに、国を思う条項が加わりました。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」

また道徳が、正式な教科になりました。これらは社会主義勢力にとっては、いやな法律改正であったでしょう。

防衛庁から防衛省に格上げ、これも第一次安倍政権の時でした。これは特に社会主義勢力にとって許しがたい暴挙に見えたことでしょう。

法律を改正して、防衛省内の背広組と制服組を対等にし、制服組が首相に助言できる体制を構築。

国家安全保障局NSSを創立し、安全保障についての外務省の影響力をそぎました。つまり安全保障のプロの意見、制服組の意見を官邸が直接聞くというわけです。

平和安保法制整備法の成立では、限定的な集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更で可能にしました。

特定秘密保護法成立。これらはみな、反安倍勢力、社会主義勢力が恐れることばかりです。いくら反対してもどんどん法律が改正されていきますので憎しみな倍増するのでしょうか。

さらに、戦後70年の安倍談話で歴史認識を改善しました。この中で「子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べ、中韓が得意とした、歴史認識外交カードを、封じてしまいました。その後は、従軍慰安婦で犯した誤りを、「徴用工」や「軍艦島」では繰り返さないという決意が見て取れました。こうした歴史認識の変更は、当初米国歴史学者などから、歴史修正主義者のレッテルを張られましたが、トランプ大統領との関係が公になると今では誰も言いません。

以上主だったものを挙げましたが、日米同盟の強化という政策の流れができていることをお分かりいただけると思います。北朝鮮のミサイル技術は、年々向上し、中国の軍拡も勢いを増しています。このような中、安倍政権は、だまって指をくわえていてはいなかったのです。他にも、航空機用長射程ミサイルの採用、F3戦闘機の自主開発、敵基地攻撃能力保有があります。

 さて、安倍首相の次は誰が首相になるのでしょうか。誰が首相になってもこの流れを止めるような方は、わが国の首相になることはできないでしょう。いや首相になってもらっては困ります。

ソ連が、共産主義を広めるために、取った戦略に砕氷船テーゼがあります。氷を割るのは砕氷船にまかせ、自分たちはそのあとを無傷で進むという、まことにずるい戦略です。

社会主義勢力はあらゆる方法でわが国を崩壊させようとしているはずです。今は人権よりも差別がキーワードになっているようです。私たちは、それをみぬく目を養い、この国を子孫に伝えていく努力をしなければならないと思います。それでは終わります。

おとなが知らない各社教科書の違い 共産主義の犠牲者 1億人

共産主義の犠牲者1憶人


「大人が知らない教科書の違い」 共産主義の犠牲者は1億人

いきなり質問ですが、皆さん、20世紀、最も多くの人命を奪ったのは人物は誰でしょうか。 しっていますか?もちろんこの問いに正確な数字を挙げて答えることはできません。では皆さんの教科書には、答えが書いてあるでしょうか。学び舎の教科書には、答えは書かれていません。東京書籍にも書かれていません。しかし、自由社には、271ページにヒントがあります。戦争と全体主義の犠牲者という題で、記述されています。一部を読みます。・・

この世紀ほどおびただしい人命が、失われた時代はなかった。第一次世界大戦では1000万人の戦死者を出した。第二次世界大戦では、戦死者の数は2500万人の規模になった上、多数の民間人も犠牲になった。ナチス・ドイツは、ユダヤ人などの大量殺戮を行った。ナチズムの犠牲者は、約2500万人とする説もある。また、共産党一党独裁が確立したスターリン支配下ソ連では、富農撲滅の名のもとに、多数の無実の農民が処刑され、あるいは餓死させられた。さらに政治犯の数を地域別に割り当てて、強制収容所に送った。中国の文化大革命による犠牲者などを合わせると、共産主義の犠牲者は、1憶人に近いともいわれる。以上です。

ここでは個人名は、スターリンだけですが、中国の文化大革命を始めたのは毛沢東です。

自由社の214ページには、ロシア革命小見出しのところに、次のような記述があります。マルクス主義の理論に基づいて武装蜂起したレーニンの一派は、労働者と兵士を中心に組織された、代表者会議(ソビエト)を拠点とする政府をつくった(十月革命)。その後、他の党派を武力で排除し、みずからひきいる共産党の、一党独裁体制を築いた。1922年には、ソビエト社会主義共和国連邦ソ連)が成立した。ソビエト政府は、ドイツとの戦争をやめ、革命に反対する国内勢力との内戦に没頭した。皇帝一族をはじめ、共産党が敵とみなす貴族、地主、資本家、聖職者、知識人らが、数しれないほど殺害された。飢饉も発生し、数百万の農民が餓死した。この数知れないほどの人の命を奪った人物は、少なくとも責任者は、レーニンです。皇帝の白馬も殺されたそうです。

最初の質問に戻ります。自由社の教科書の記述から言えることは、正確な数は不明ですが、共産主義による約1億人の犠牲者の責任者は、レーニンスターリン、そして毛沢東ということができます。ヒトラーをナチズムの犠牲者2500万人の責任者とすれば、それ以上の数の犠牲者の責任者たちです。これほど多くの犠牲者を出した共産主義という暴力革命思想は、ソビエト社会主義連邦共和国の崩壊とともに急速に力を失っていきました。

このように歴史上多くの人命を奪った、共産主義、あるいはマルクス・レーニン主義とは、いったい何でしょうか。

共産主義は教科書でどのように説明されているのでしょうか

学び舎は、151ページで「このような経済の仕組み(資本主義)を改めるべきだとする社会主義の考え方が生まれました。土地や工場を社会の共有にして、平等な社会を実現しようとするものです。マルクスは、貧富の差を生み出す資本主義の仕組みを分析し、エンゲルスの協力のもとに「資本論」を著しました」と記述しています。学び舎の記述を補足すれば、数多くの人命を奪ったロシア革命の指導者、レーニンは、マルクスの主張を発展させ、「労働者と農民」の独裁を唱えたのです。

同じく学び舎は、211ページで、「ロシア革命は、世界で初めての社会主義革命でした。ソビエト政府は、地主の土地を農民にあたえ、工場や銀行を国有にすることを宣言しました」と記述しています。ですから労働者と農民以外は、敵です。かれらがどうなったか、学び舎は記述しません。また、側注ではレーニンの写真を掲げ、1922年ソビエト社会主義共和国連邦ソビエト連邦)が建国されたとき、初代の首相となった、「ソビエト」はロシア語で会議を意味すると記述していますが、学び舎は、ロシア革命の時に、多くの人命が失われたことについては全く記述していません。

これに対し、自由社は、マルクス主義について、214ページの側注で、「ドイツの思想家、カールマルクスがとなえた政治思想。まず革命によって、労働者が資本家を倒し、次に社会主義の段階を経て、最後に階級のない共産主義を実現するのだと説明した。ただし、社会主義共産主義は同じ意味で使われることもある」と記述しています。また、226ページでは、「共産主義の考え方では、労働者階級が団結して革命をおこし、資本家を追放して経済を計画的に運営し、階級による差別のない社会を建設することを理想とした。それを実現するための手段が、共産党にすべての権力を集中する一党独裁だった。ロシア革命によって、共産党独裁国家となったソ連では、レーニンの死後、スターリンが権力をにぎった。スターリンは、重工業を重視し、農業の集団化を進める一方、秘密警察や、強制収容所を用いて、膨大な数の反対者を処刑した」と記述しています。

ソ連は、世界中に共産主義を広めるため、1919年、コミンテルン(国際共産党)を結成して、世界各国に共産党を組織していきました。モスクワ本部の指令に従って、それぞれの国内を混乱させる活動を行いました。日本でも大正11年1922年、日本共産党コミンテルン日本支部日本共産党としてひそかに創立されました。昭和7年1932年の515事件や昭和11年226事件という、青年将校による反乱事件が起きましたが、彼らの思想は、国家社会主義といわれています。

これは労働者を天皇に置き換えただけの、日本的共産主義と理解することも可能です。共産主義を隠して社会主義と名乗ることもできます。先ほどの自由社の記述にありますように「ただし、社会主義共産主義は、同じ意味で使われることもある」というのはこのことも含んでいるのでしょう。

ロシア革命からソ連崩壊まで74年かかりました。

この間に多くの人が革命と戦争で命を失いました。支那事変もノモンハン事件大東亜戦争英米の思惑だけでなく、コミンテルンソ連の陰が見え隠れしていました。

「1943年コミンテルンは、ソ連英米と戦争協力するために解散しました。

 

しかし、ソ連は、第2次世界大戦により、東ヨーロッパを占領、戦争により疲弊した西ヨーロッパや大東亜戦争に敗れた日本の占領時代も、GHQを介して共産主義の影響をおよぼし始めました。

その後世界は、アメリカがひきいる自由主義陣営と、ソ連がひきいる共産主義陣営が勢力を争う冷戦の時代に突入します。」

 

戦後日本でも自由民主党と、労働組合の支援を受けた社会党共産党が対立をしました。この背後にはソ連の情報機関の工作があったといわれています。

日本が高度経済成長をとげる間に、米ソの冷戦はさらに激化していきます。

当初の日米安全保障条約では、アメリカは、日本を防衛する義務はありませんでした。昭和35年(1960年)1月、自民党は、新安保条約の国会承認を、強硬採決して、安保条約を日本の施政下では、共同して、防衛行動をとるように、改定しました。これは、日米同盟の強化でした。この時、日本共産党社会党などの社会主義勢力は、労働組合、学生団体などを巻き込んで反対運動を展開したのです。これも冷戦という枠の中の出来事でした。

現在も、社会主義勢力は、一部野党や労働組合として健在です。平成27年2015年の平和安全法制整備法案は、さらなる日米同盟の強化と言えるものでした。この法案の成立のときも、かれらは、マスコミと一緒に、激しく反対運動を展開しました。

 

昭和56年(1981年)レーガン大統領が登場、ソ連と大規模な軍備拡張競争を行いました。ソ連は経済的に耐え切れず、経済が破綻しました。グラフはソ連ではなく、2017年の、今のロシアと米国のGDPを、比較したものです。これだけの大きな経済規模の差があるわけですから、軍備拡張競争に耐えられなかったんでしょう。平成元年(1989年)米ソ首脳は冷戦の終了を宣言します。1991年のロシア革命以来、数多くの人命を犠牲にしたソ連は、ついに崩壊しました。そして東欧諸国でも次々と共産主義政権が崩壊していきました。

ソ連崩壊後。この地球上で共産主義をめざす国家は、中華人民共和国北朝鮮ベトナムラオスキューバくらいしかありません。

 共産主義は消滅したか

自由社270ページにはつぎのような記述があります。

「平成3年(1991年)ソ連は、解体した。ソ連を筆頭とする共産主義体制の崩壊によって、約70年間におよぶ共産主義の実験は、決着を見た。この体制は、人々に豊かで安定した暮らしを保証できず、言論の自由など政治的権利も保証もできないことが明らかとなりました」

 しかし、ソ連崩壊後も共産主義思想は、形、姿をかえながら生き続けています。ブラック・ライブズ・マターとかアンテイーファの活動は、差別を強調し、国民を分裂させようとしています。差別にはLGBTジェンダーとか、その時々に都合の良い問題が取り上げられます。これらの運動の指導者たちは、自ら共産主義者だと名乗っているそうです。

最門司さくらの憂国日記

最門司さくらの憂国日記 教育か洗脳か

こんにちは、わたくしは、最門司さくら、高校三年生です。塾の講師をしています。さくらの憂国日記は、ネット上の情報の中から、気になった情報を取り上げて論評します。我が国では、憲法の陰に隠れて、自分さえ安全ならば、拉致、尖閣竹島北方領土、その他について戦争反対といえば、一人前とみられるかもしれません。でも一歩海外に出て、話してみれば子ども扱いされてしまうのではないでしょうか。

あるブログのタイトルに、このようなものがありました。「75回目の終戦の日に考える「平和主義と「基本的人権の尊重の、重要な関係」。ブログをおかきになったかたは、たぶん先生でしょう。「基本的人権を、本気で守ったら戦争なんかできない」とおっしゃっています。本当にそうでしょうか。皆さんはどうおもわれますか?

先生は、また「例えば、戦争は人々の人権を、容易に奪ってしまいますし、逆に基本的人権が守られることで、戦争のない社会につながるのです」ともおっしゃっています。これは、よく耳にするお花畑の物語ではないでしょうか。学校という閉鎖空間の中に、長くいると現実の世界が、見えなくなってしまうのでしょうか。あるいは、それは百も承知で、子供たちを、教育の名を借りて洗脳するために、無理を承知で教えているのでしょうか

それでは、ブログが引用した、ある中学校の入学試験問題を見てみましょう。実際には引用のまた引用です。ある学習塾が最初に引用して、それをまたこの先生がほめたたえて引用したものです。レポートの感想を読んで問に答えなさい。私は、「基本的人権が守られることで、戦争のない社会につながるのではないか」と考えました。憲法の平和主義と基本的人権の尊重は、つながっているのだと思いました。

問5 基本的人権を守ることが、なぜ戦争のない社会につながると考えられるのか、次の資料のいずれかにふれて説明しなさい。問題がおかしいと、当然答えも、おかしな答えにならざるを得ません。学校側の満足のいく「正解を書けた受験生は、1割程度だったらしいのです。それはそうでしょう。9割以上は、まともな小学生だったのですから。でも入学したらこんな授業をされて、まともな生徒もおかしくされてしまうのでしょうか。

子供たちは、答えを書くために、むりやり「権利と「戦争がない社会とを、結びつけなければなりません。これは明らかに、9条を守れとは、いっていませんが、戦争反対、平和、9条を守れという、例の思想を子供に刷り込む工作、といってもよいのではないでしょうか。単なる偏向教育で、すまされる問題ではありません。もはやこれは社会問題、といっても過言ではないでしょう。

この中学校だけではなく、日本中の多くの中学・高校で、このような社会科の授業が、行われているのではないでしょうか。皆さまのまわりでは、いかがですか?

基本的人権をまもることは、戦争のない社会に、つながることは絶対にありません。北朝鮮のミサイルで秋田の小学校は、避難訓練をしなければならなかったそうです。戦後日本は、ずっと戦争のない社会でした。それにもかかわらず、北朝鮮に拉致された、横田めぐみさんや数百人と言われる、拉致被害者基本的人権は守られなかったのです。

それどころか、避難訓練に反対する人々も少数ですが、いたことも事実です。この人たちが、避難訓練に反対する理由は、「避難訓練は、戦争に人々を動員することだ」とか「話し合いや、外交で解決すべきだ」と言っていました。これは、なんでも戦争反対という、言い古された言い訳のようにきこえますし、ミサイルを日本に発射した国の肩をもつようにも聞こえます。これは共産党赤旗のその時のホームページです。

石垣島の漁師さんたちは、尖閣周辺で漁をすると、中国の公船に追いかけられ、漁ができなくて困っています。国が、漁師さんたちの人権を、本気で守ろうとして、中国の公船を、追い払う行為をすると、どうなるでしょう。中国の公船は、機関砲で武装しています。これを一発触発と言います。これは、わが国だけではありません。インドネシアでは、中国の漁船を領海侵犯で拿捕してから、爆破してしまいました。

ベトナムでは、漁船が中国公船に体当たりされて、数回沈没させられています。どの国も漁師さんの人権を本気で守ろうとすると、一発触発ですから、戦争になる危険があるのです。

石垣の漁師さんは、憲法に定められた勤労の義務を果たし、仕事をして家族を養おうとする、勤労の権利や経済活動の自由を、中国当局に侵害されています。漁師さんたちや、秋田の小学生、拉致事件の被害者の基本的人権を、国が本気で守ろうとすると、戦争になる危険を覚悟しなければならないことを、ご理解いただけるとおもいます。私たちは、その覚悟ができているのでしょうか。憲法の陰にかくれているのではないでしょうか。

基本的人権と平和を、無理やりこじつけて、反戦イデオロギーを子供に植え付ける、偏った社会科の授業は、あらためなければなりません。なぜこのような、間違った授業がおこなわれているのでしょうか。それは社会科の、多くの公民教科書に、安全保障の単元がないというのも、重要な一つの理由だと私は思います。

文部科学省 学習指導要領(4)私たちと国際社会の諸課題には、我が国の安全と防衛、及び国際貢献について、考えさせるとともに,核兵器などの脅威に着目させ,戦争を防止し,世界平和を確立するための、熱意と協力の態度を育てる。とあります。しかし、これを忠実に守っている教科書は、自由社以外はありません。自由社の公民の教科書には、安全保障について詳しく記述されているからです。

わたくしたちのご先祖は、文字通り尊い血を流して、この国を外敵から守ってきたという歴史があります。しかし、今の子供たちは、学校でも家でも、平和は、あせと血を流す努力をしなければ、得られないことを、学ぶことができません。私も、いままで学校で教わったことは、一度もありませんでした。自由社の公民教科書をよんではじめて、安全保障を知ったのです。基本的人権は、最低限、国家が無ければ守ってもらえません。

さらにその国家は、外国の侵略や恫喝、強要に負けないくらい、強い国家でなければ、自国民の基本的人権はもちろん、命さえ守れないことは、いままでお話ししたことで、お分かりいただけるのではないでしょうか。ご父兄、保護者の方々は、お子様が学校で、どんな授業を受けているか、どうか関心を持ってください。みなさんが関心を持てば、教室のおかしな授業は、今よりもずっと少なくなるはずです。

残念なことですが、この地球という惑星では、平和という言葉を千回唱えても、平和は来てくれません。どんなに豊かな国でも、戦う勇気がない国は、しらない間に、戦う国に、見下され、おどされ、奪われていきます。お金や技術だけではなく、心まで奪われてしまう人もいます。見たくない、聞きたくないことではありますが、それが今の現実です。

私たちは、自国の安全保障を高めるとともに、この尊い国を、歴史や伝統、文化とともに、子孫に伝えていくには、どうすればよいか、一人一人が考える必要があるのではないでしょうか。それでは、さくらの憂国日記を終わります。最後までご視聴ありがとうございました。よろしければチャンネル登録をお願いします。またおあいしましょうね。さようなら

 


「最門司さくらの憂国日記」

「最門司さくらの憂国日記」はじまります

こんにちは、わたくしは、最門司さくら、高校三年生です。塾の講師をしています。さくらの憂国日記は、ネット上の情報の中から、気になった情報を取り上げて論評します。我が国では、憲法の陰に隠れて、自分さえ安全ならば、拉致、尖閣竹島北方領土、その他について戦争反対といえば、一人前とみられるかもしれません。でも一歩海外に出て、話してみれば子ども扱いされてしまうのではないでしょうか。

 

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