手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

「教科書検定は機能しているか」愛国心を否定する文科省 東大入試日本史に最古の愛国者の名前


 教育基本法第2条五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
 学校で愛国を教えない。
 国を愛する愛国者のことを英語でパトリオットと言います。辞書によればギリシャ語で祖国の意味だそうです。皆さんも、パトリオットミサイルを知っているのではないでしょうか。日本語に直せば、愛国者誘導飛昇体です。システムは、パックスリーとも言われています。わが国のミサイル防衛網の中で、イージス艦が打ち漏らした中国や北のミサイルを、撃ち落とす最後のミサイルです。
生徒諸君の中には、愛国とか愛国者という言葉に抵抗感をもつ人が多いのではないでしょうか。おそらく学校でこのような言葉が忌み嫌われているからではないでしょうか。しかし、アメリカではパトリオットとかパトリオチック、愛国的なということばは、ごく普通に使われています。トランプ大統領もよく演説の中でこの愛国者パトリオットという言葉を使っています。アメリカでは、あなたは愛国者ですかと訊かれて、答えに詰まったりすると、その人は信用されないようです。ノー、いや愛国者ではありませんなどと返事をすると、もう軽蔑のまなざしで、絶対に相手にはされないでしょう。検定合格した自由社の新しい歴史教科書の172ページ側注に、小学校唱歌蛍の光の4番めの歌詞の一部が載っています。千島の奥も、沖縄も、やしまの内の守りなり。これは国境が画定したのを受けて、千島から沖縄までが日本、やしまだと言うことを国民に教える意味がこめられており、国民国家をつくるうえで重要なことでした。このように記述されているのですが、文科省の検定調査官は、断定すぎる、生徒が誤解するおそれがある表現としてクレームが付いたそ
うです。これも文科省が、愛国的なことを嫌うひとつの現れではないでしょうか。自由社は、学習指導要領の、近代日本建設の中にある、近隣諸国との国境画定という単元の中の記述で、この小学唱歌は、樺太・千島交換条約が結ばれて6年後、沖縄県が置かれて2年後につくられた唱歌であり、ごく自然な感覚である。このような検定意見は、いち早く国境問題を唱歌に取り込んだ明治政府や、今も北方領土竹島など領土問題に取り組んでいる政府の姿勢をも否定するようなものであると反論したそうです。もっとも、検定合格後、この部分は修正されたかというと、何も変わっていません。つまり言いがかりだったのです。文科省がこれですから、学校でも、愛国、愛国者などの言葉は嫌われているのでしょう。しかし、皆さんがこれから海外に出て行ったときは、先ほどお話ししましたように、アーユー、パトリアット?によく注意してくださいね。間違ってもノーなどといわないように。ついでに日本最古の愛国者は誰だったのか、みなさん知っていますか。平成23年の東大の日本史の問題に、この人の名前が出たことがあります。以前にもとりあげましたが、説明欄にURLを書きましたので、詳しくはそちらの動画をご覧ください。 
皆さんは日本最古の歴史書古事記、日本書記なのは学びましたね。この日本書記の41代持統天皇のところに次の記述があります。 朕、嘉厥尊朝愛国・賣己顯忠
朕(われ)、厥(そ)の「朝みかど」を尊び、国を愛(おも)ひて、己(おのがみ)を売りて忠(まめなるこころ)を顕すことを嘉ぶ。
このことを分かり易く説明していますのが、九州八女市のホームページです。博麻が博麻呂になっています。大伴部博麻呂の碑
大伴部博麻呂は、661年白村江はくすきのえの戦いで唐の捕虜になりました。唐の日本出撃準備を知った彼は祖国に知らせるために自分を奴隷として売り、そのお金で仲間を帰国させ国に知らせました。30年後帰国した博麻呂を持統天皇がその功績をたたえたと『日本書記』に記されています。
この大伴部博麻持統天皇から愛国者とたたえられたのが690年(持統4年のことです。大伴部博麻は特別な人や役人ではなく、ただの兵士です。しかし帝はただの兵士の苦労を直接労われたのです。これは、例外中の例外で、最初にして最後のことでしょう。このころすでに日本人が国家というものを意識していて、国をおもうといういみで愛国という漢字を当てているのです。わが国が外交文書に日本という国号を用いるようになったのも689年と自由社は記述しています。少なくともこのころすでに、敵は唐と新羅の連合軍で、国民の中に国を愛する愛国者がいたことは確かでしょう。朝廷も国防体制を整えるため、九州に大宰府という出先機関を置き、軍事と外交の拠点としました。今でいえば軍事拠点で、要塞や城のようなものだったでしょう。対馬や九州に防人を配置し、西国の各地に山城を築きました。さらに都を海に近い難波から近江に移し、中大兄皇子は、そこで天智天皇となります。天皇はこうごねんじゃくと呼ばれる初めての全国的な戸籍をつくり、国内の改革をすすめました。つまり唐と新羅の連合軍がいつきても戦えるように準備をしたのです。いまから1358年も前のことです。今日本の北方領土竹島は不当に外国に侵略されて奪われたままです。また尖閣諸島にも中国が自分のものだといって侵略し始めています。今は海上保安庁が、なんとか歯を食いしばって、島と漁民を守っている状況です。自衛隊アメリカなどとさかんに合同演習をしています。天智天皇のころの大変な状況と同じはずですが、マスコミが中国に忖度して敢えて報じないせいか、国民の多くはまだ平和だと勘違いしているようです。いや勘違いではなく、見て見ぬふりをしているのかもしれません。ところで持統天皇は、女性の天皇でした。生徒の皆さんは聖徳太子が、最初の女性天皇33代推古天皇の摂政だったことを習ったとおもいます。そのあと女性天皇は、35代皇極天皇、37代斉明天皇と続き、4方目の女性天皇です。持統天皇は40代天武天皇の皇后様でした。天武天皇崩御された後、天皇の地位につかれたのです。ここで大事なことは、女性天皇の後は必ず、例外なく、天皇の男系男子が天皇の地位におつきになられます。例えば推古天皇のあとは、男子の舒明じょめい天皇斉明天皇のあとは、男子の天智てんじ天皇持統天皇の後は文武天皇です。ですからお父様、そのまたお父様と遡り、途中女性天皇がおられても、万世一系、男系継承が2000年以上守られているわけです。ところでいかにもご皇室を守るようなふりをして女系天皇女性天皇、皇女などを訴えて、皇室をないがしろにしたい人も、ネット上に見られます。例えば、皇室は、天照大神からはじまる女系一族ですなどとウソを宣伝したり、皇統は、男系継承だけではなかった、女系継承もあったといい、天照大神の次の天皇は、あめのおしほみみの、みことで、これは女系継承だと、まちがったことを、専門用語をつかい、あたかも専門家気取りで宣伝しています。たかが100年も生きられない人たちが、女性天皇とか女系天皇とか皇女とかを喧伝して、わが国の国柄を壊そうとしているのは不思議でもなんでもありません。まさに共産主義思想です。日本をキャンセルして壊したい人達ですが、その数はごく少数です。共産党立憲民主党の支持率を見ればわかります。両党合わせても僅か5.1パーセントのレベルです。世界には196の国がありますが、共産主義国と言われる国は、たった5カ国しかありません。北朝鮮、中国、キューバラオスベトナムです。私たちは、世界でパトロオットという英語が何の偏見もなく、普通に使われていることを理解し、あなたは、愛国者ですかと質問されたとき、躊躇なく、Yes!と応えられるようになりたいものです。一寸でも間があいてハイと答えれば、信用されないのが世界標準ですよ。それではみなさん、さようなら