手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

「教科書検定は機能しているか」日本の古代の終わりは長い

古代ローマ人という言い方があります。ですから古代縄文人や古代弥生人という言い方もできるでしょう。もちろん両者合わせて古代日本人という言い方も可能でしょう。

ところで、わが国の歴史教科書は、どこまでが古代で、どこから中世になるのでしょうか。みなさんわかりますか? これはいろいろな説があるようで、答えは見つかりません。時代区分の仕方はいろいろあるのでしょう。これは東京書籍の年表です。なんと紀元元年から1232年御成敗式目のところまで黄緑色の古代になっています。東京書籍は、弥生時代から鎌倉時代中頃までが古代です。しかし、ヨロッパも中国大陸の歴史も古代は、日本の縄文時代辺りから始まり、年表のように476年西ローマ帝国が滅びる、ここまでが古代になっています。日本よりも千年以上早く始まり、716年早く古代が終わり、中世が始まります。中世の終わりは、日本もヨーロッパ、中国も同じように見えます。なぜ古代の始まりと古代の終わりだけが西洋とにほんとでは大きく違っているのでしょう。つまり日本の古代だけが長く、外国の古代は、始まりが日本よりもはやく、そして終わりも早いのです。おそらく学校では、なぜ西洋史と日本史とでは古代の終わり、つまり中世のはじまりが700年ほどちがっているのか教えてもらえないでしょう。歴史学者で答えられるひとはいないかもしれません。と言いますのは、ある外国人から、飛鳥時代法隆寺は、なぜ古代の建築物なのか、中世の建物ではないのかとたずねられ、ある歴史研究者は、応えに窮したそうです。育鵬社は、日本の古代の始まりは東京書籍と同じで、弥生時代で、終わりは少し早く鎌倉時代には入っていません。平安時代の終わりが古代の終わりです。教科書によって古代の終わりには、少しだけ違いがあります。自由社も古代の終わりは、年表のよう東京書籍や育鵬社とそれほど変わりがありません。ところが自由社は他社と違って、古代のはじまりがほぼ西洋と同じなのです。自由社は、本文の記述の中で、古代までの日本は、約20万年前のアフリカでの「ホモサピエンス(知恵のあるヒト)の誕生から11世紀末の摂関政治の終わりころまで、とても長いね。と記述しています。古代の始まりを他社の教科書とおなじにせず、西洋の古代の始まりと同じにすると、文科省の検定でクレームがつくかもしれません。

ネットで検索するといい加減な答えも見えます。たとえば古代は、奈良時代から平安時代の終わりまでとか、平気で書いてあります。このような説では古代の前は何と言っているのでしょうか。はい、原始時代です。旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代はみな原始時代です。笑えるでしょう。縄文、弥生、そして古墳時代の日本人はみな原始人扱いです。ネットで調べることはとても便利でお手軽ですが、ウソの情報もウイキペデイアなどにかかれていますから注意が必要です。よだんですが、論文にウイキを引用すると信用を無くしてしまいます。

 先ほどお話ししましたように、自由社の教科書の年表を見る限り、日本も西洋も古代の始まりは同じように見えます。しかし、自由社以外の教科書は、はなぜ古代の終わりが、西洋や中国大陸は早く、日本は平安時代末期、あるいは東京書籍のように鎌倉時代に入ってから終わるのでしょうか。

高校山川詳説日本史Bや東京書籍のように、生徒の皆さんに縄文時代の始まりを遅く教えたい教科書があるように、日本の古代の始まりをできるだけ遅くして、旧石器時代や、縄文時代を遅れた、原始的な野蛮人としていきたいのでしょうか。中国大陸の優れた文化は、朝鮮半島経由で弥生時代に日本列島に伝わって、やっと原始人から古代人になったと言いたいのでしょうか。朝鮮半島よりもはるか昔にすでに日本列島には優れた縄文文明が存在したと認めたくないのかもしれません。先ほど紹介した古代の始まりは奈良時代からというのもそうでしょう。ひどい話です。これは東進予備校の歴史データーベースで、まるイチ、大学受験レベルで必須とされる出来事はすべて網羅と、書かれています。しかし、ここにはなぜか縄文時代がありません。弥生時代から始まっています。大学受験には原始時代の縄文文明は不必要ということで切って捨てているのでしょうか。これも先ほどの古代の始まりが奈良時代というのと同じでひどい話です。これは、東京大学の日本史過去問の一覧です。確かに縄文時代に関する設問は一つもありません。弥生時代が1問あるだけです。では今後絶対に縄文時代の設問がないのでしょうか。おおだいやまもといち遺跡や山内丸山遺跡の発掘調査により、縄文時代の今までの常識がことごとく覆されてしまいました。大平山元Ⅰ遺跡からは、今から1万6500年前の世界最古のどきの破片が出土しています。そもそも日本の歴史を学ぶ上で、入試問題にでないから縄文時代を、学ばなくてもよいという態度でよいのでしょうか。今後入試設問に縄文時代が出ない保証など一つもありません。さきほどの自由社の記述の部分に、文科省が、生徒にとって理解しがたい表現であるとクレームを付けたそうです。古代までの日本は、約20万年前のアフリカでの「ホモサピエンス(知恵のあるヒト)の誕生から11世紀末の摂関政治の終わりころまで、とても長いね。このアフリカにおけるホモ・サピエンス誕生と日本の古代史とを結ぶ意味が理解しがたい表現であるという。自由社は、文科省に対し、長すぎる古代は、学習指導要領の責任である、学習指導要領に、「古代までの日本」と書かれているから仕方なくそれに合わせて教科書を作っているだけだと反論したそうです。

皆さんはどうですか、理解しがたいですか。どうやら文科省の調査官の本音も、西洋よりも日本の古代の始まりと終わりを遅くして、縄文時代は原始時代だった、そしてすぐれた大陸の文明は、朝鮮半島を経由して弥生時代に日本列島に伝わったとしたいのかもしれません。そうそんなストーリーは誰も信じません。


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