手奇塾のブログ

大人も知らない各社歴史・公民教科書の違いをわかりやすく徹底比較します。

第1回 なかった戦時プロパガンダの南京事件

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みなさん、こんにちは。私の名は、最門司さくらです。レッスン、「キャンセルされた歴史をもとに戻す」の講師です。第一回は、戦時プロパガンダ南京事件1です。一回

 

当たりの授業は約5分、4回に分けて授業をします。それでは始めます。かつて日本は、蒋介石の国民党政府と、つまり今の台湾の野党国民党が、シナ大陸にいたころ、戦争をしたことがあります。

内戦状態でしたので、国といえるかどうか疑問ですが、中華人民共和国の前の国です。欧米の都合で国際連盟に加盟していました。

これをシナ事変、日中戦争ともいいます。支那事変は日本が始めた戦争と言うことにされていますが、これもフェイクで、詳しくは第5回支那事変でお話しします。もちろん日本国民も中国国民も戦争は望んでいませんでした。

日本軍が敵の首都南京を陥落させた後、昭和12年、1937年12月13日から翌年2月初めまでの約6週間の間に、日本軍が国際法に違反して、また組織的に市民30万にんを虐殺したと、今の中国共産党政府が、朝日新聞などと一緒になって、世界中に政治宣伝をしたことがあります。

最も盛んに宣伝していた時期は、平成27年頃です。しかし、日本にはこれを記述する教科書と記述しない教科書があります。

記述しない自由社の歴史教科書は、すでに朝日新聞がうそ報道を謝罪した従軍慰安婦同様、この事件も歴史的事実ではないと考えているからです。

それではなぜほかの教科書に載っているのでしょうか。その根拠は、次の3つです。1. 外務省のホームページ 2. 偕行社の南京戦史 3.東京裁判資料です。基本的な理由は、日本は侵略をした悪い国だと信じ込ませるためにも、南京大虐殺があった方が都合がよいからでしょう。

外務省のホームページには、日本語と英文で次のように書かれています。しかし、ある教科書に記述されている「女性や子供など、一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しましたは、この外務省のホームページには全くありません。

外務省は、東京裁判を承認せざるを得ないので、南京事件は、なかったと言えないのです。もちろん事実ではないことを事実だと書くこともできません。

ですから、なかったとはいえないという表現になっているのです。

偕行社の南京戦史は、その後正確ではないとして、平成24年8月の「偕行特別号で、南京事件は、中国の戦時プロパガンダであったと訂正されています。

これは偕行社のホームページです。

東京裁判では、当時の中華民国は、日本軍は多くの市民を虐殺したと訴えました。ところがこの訴えはすべて伝聞証言でした。

その中に東京書籍の教科書が記述している、女性や子供など、一般の人々や捕虜を含む、多数の中国人を殺害しましたという多くの伝聞証言がありました。

刑事事件の裁判では、伝聞証言は証拠として採用されませんが、この東京裁判では、特別に伝聞証言が証拠として採用されたのです。

つまり、私はAさんから聞いたのですが、日本軍は、女性や子供など一般の人々や、捕虜を含む多数の中国人を殺害したそうです。

東京裁判ではこのように、聞いただけの話でも証拠になりました。ヒドイ裁判ですが戦争に負けたので何も言えません。

当時の南京攻略戦の司令官の松井石根大将は、捕虜及び一般人に対する、条約尊守の責任無視による戦争放棄違反という罪だけで、絞首刑になってしまいました。

蒋介石に恨まれた、松井大将を絞首刑にするために、作られた中国人虐殺の話であることは明らかです。

それでは実際の当時の南京市内の様子はどうだったのでしょうか。

続きは第2回です。それではみなさん、さようなら。またお会いしましょう。

 

キャンセルされた歴史を取り戻す第5回 これでも侵略したと言えるのか 支那事変(後編)

「キャンセルされた歴史を取り戻す」第5回 支那事変2 - ニコニコ動画

みなさん、こんにちは。キャンセルされた歴史を取り戻す、第5回の授業は、これでも侵略か、支那事変の後編です。今回はコミンテルンとは何か、侵略をしたのは誰かについてお話しします。

表の一番最初に、1935年、第7回コミンテルン世界大会とあります。ここで主敵をナチスドイツ、ポーランド、日本としたとあります。

1921年中国共産党ができ、翌年中国共産党支部として日本共産党が誕生しました。彼らから見れば、蒋介石と日本政府は敵です。

これは自由社の中学歴史教科書にある、コミンテルンの世界革命戦略です。読みます。

コミンテルンはいち早く中国共産党を作り、革命運動を強力に指導しました。蒋介石は、北伐の途上にあった1926年に、モスクワが指示をした次の秘密文書を入手しました。

あらゆる方法を用いて、国民大衆による外国人排斥を引き侵さねばならない。この目的達成のためには、各国と大衆とを武力衝突させなければならない。

これによって各国の干渉を引き起こすことができたならば、さらに方法を選ばず、それを貫徹すべきである。たとえ、略奪や、多数の惨殺をもたらすものであってもかまわない。

北伐の国民革命軍に潜り込んだ共産党員は、1927年、南京で日本を含む各国の大使館を遅い、略奪、暴行、殺人の限りを尽くしました。

共産党は、国民党を弱体化させるために日本軍と戦うように仕向けました。これが共産党が政権をとるための大方針でした。このように自由社は説明しています。

もともとこの1927年の共産党の南京での暴虐を、本当の南京事件といっていましたが今では隠されています。

日本は、共産主義の危険性を理解していましたので警戒していました。蒋介石もようやく危険に気付き、中国共産党を弾圧し、壊滅寸前まで追い込みました。

しかし、西安事件が起こり蒋介石は囚われの身になり、命と引き換えに中国共産党征伐を中止し、ともに日本と戦う決意をします。

それぞれが自分の利益を考え、場合によっては戦国大名のように忍者を使い、謀略工作を仕掛けていました。

忍者は今のスパイ、テロリスト、工作員のことです。追い込まれた中国共産党の一発逆転劇が西安事件です。

英米は、蒋介石に中国を統一させて、日本を押しのけ、鉄道敷設権益で利益を上げたい。コミンテルンもまた、内乱状態の中国を共産党に統一させたいと考えていたことは明らかです。

両者からは満洲国は、宝の山に見えたのかもしれません。毛沢東は、満州さえ盗めば、革命の成功はなんとかなると考えていたようです。

自由社以外の教科書は、日本が侵略をしたという印象を生徒にもたせるため、コミンテルンの説明は全くありません。

そして盧溝橋事件も日本が侵略をしたという印象操作で、中国軍と日本軍の小競り合いが、支那事変、日中戦争へと発展したと記述しています。

国民党軍の中に入り込んだ共産党のスパイが、日本軍に向けて実弾を数発撃ったと考えられています。この時日本軍は演習中ですが、実弾を使わない演習でした。

日本は1900年の義和団事件の後、他の列強と同様に、外交官とその家族などを守るために、北京議定書を結び、北京周辺に5000人の軍隊を駐屯させていました。

議定書では、実弾演習は禁止されていました。盧溝橋では現地停戦協定が結ばれたので、コミンテルンが望む、中国軍と日本軍の本格的戦争がなかなか始まりません。

日本軍といっても最初は、北京周辺に5,000人、上海租界に千数百にん程度です。

そして、前回お話ししましたように、満洲や朝鮮への投資で、日本はお金のかかる戦争をしたくありません。

それでコミンテルン英米はいろいろ挑発手段を考えます。その中でも最も悲惨なできごとが通州事件です。

これも他社の教科書は書きませんが、日本人として忘れてはならない事件の一つです。女性や子供を含む日本人225にんが、中国人学生や保安隊に惨殺された事件です。

この事件は、日本を挑発するために、2年も前から計画されていました。これだけの被害を受けながら、当時日本は、その被害を効果的に世界に訴えることをしませんでした。

同じように、ありもしなかった、南京大虐殺従軍慰安婦の政治宣伝が、世界に拡散されるままに放置したことが、今大きく国益を損なっています。

もし、あの時英米が賢く振舞っていたならば、今中国共産党は無く、原爆も落ちず、拉致事件もなく、チベットウイグル内モンゴルの弾圧もなく、満州人も満州語を話し、台湾も尖閣も平和なはずでした。

英米はその責任を自覚したのか、対中包囲網を作り始めています。それでは第5回を終わります。みなさん、さようなら。

 

 

 

 

 

 

「キャンセルされた歴史を取り戻す」第4回 これでも侵略したといえるのか支那事変(前編)

「キャンセルされた歴史を取り戻す」

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Vimeoチャンネル: なかった南京事件シリーズ https://vimeo.com/user145181550

youtubeチャンネル1:「大人の知らない教科書の違い」シリーズ

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youtubeチャンネル2:「自由社、東京書籍、学び舎、高校山川詳説日本史B」シリーズ

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みなさん、こんにちは。講師の最門司桜です。キャンセルされた歴史を取り戻す、第4回の授業は、これでも侵略か、支那事変1です。

 

日本という国は、昔から道徳とか法律を大切にするお侍がいて、それが一般庶民にも影響を与えていたように見えます。

実際に江戸時代に来日した外国人の多くが、日本人の礼儀正しさ、親切さ、治安の良さに驚いています。

日露戦争のころは、国際法学者を戦地にともなって、ロシアと戦争をしたくらいです。

また、東京書籍の179ページには、明治時代の戦争捕虜のあつかいは、国際法にのっとった人道的なものでしたとあります。

前回の支那事変の南京城攻防戦のときも、日本軍将兵には、国際法尊守や不法行為禁止の命令が出されていました。

敵の高射砲に撃たれながら、急降下して飛行機から降伏勧告のビラを撒きましたが、南京の中国軍に拒否されました。

軍隊経験のないひとには誤解されやすいのですが、戦争するにもルールがあり、このルールを破って戦闘をする者には、敵味方を問わず場合によっては、死刑という厳しい罰が与えられます。

例えば軍服を着ずに民間人に紛れて戦ったり、武器を隠し持ったりすることです。

外国の軍隊に比べて、日本の軍隊が非常に厳しい規律を求められたのは、日本軍は天皇陛下の軍隊で、将兵不法行為は、天皇陛下に申し訳がないという、暗黙の了解があったのではないでしょうか。

1938年に引き上げましたが、蒋介石の軍事顧問は、ドイツ軍将校でした。

上海周辺のトーチカ網の建設を指導したり、南京攻防戦の1937年12月のときもまだ軍事顧問でした。

上海は蒋介石政府の支配するナンタオと、日英米仏などが警察権と行政権を持つ、租界に分かれていました。

表のように、ソ連軍も1937年に航空機、戦車、トラックを蒋介石に援助し、英国、米国も援助しました。

特に米国は1927年からです。ですから蒋介石は、自信をもって軍備を整え、日本に戦いを挑んだのです。

この点では英米コミンテルンの思惑は一致していました。

国民党軍5万の兵力で、上海租界地を守る海軍陸戦隊3千弱に、機関銃で攻撃を仕掛けたのです。

そこで松井岩根大将を司令官とする救援軍が上海に上陸しますが、ドイツ軍事顧問団指導の、強力なトーチカとクリーク網がありました。

最新鋭の武器とドイツ顧問団の軍事指導のため、日本軍はたちまち大損害を被り、約3か月間で4万人の死傷者を出してしまいます。

このため日本軍は、敵軍の背後をつく上陸作戦を実行、その結果国民党軍は総崩れとなり、南京に退却したのです。

しかし、教科書や学校では、日本が侵略をしたと、英米やチャイナの言い分を今でも教えています。

例えば東京書籍は、満州支配下に置いた日本は、さらに中国北部に侵入しました。1937年7月、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまりましたと記述しています。

みなさんは、情報を鵜にしないで、本当だろうか、なぜだろうと考えて、答えを出す態度が大切です。

戦争を終えるには相手と交渉して合意する必要があります。

しかし、コミンテルン英米の思惑は、日本を長期戦争に引きずり込むことにありましたから、今考えれば絶対に停戦などありえませんでした。

日本に失敗、反省することがあるとすれば、英米ソ連の意図を見抜けず、深入りしすぎて相手の戦略に嵌ってしまったことでしょうか。

それでは、日本はシナ大陸を侵略したのでしょうか、それとも侵略ではなかったのでしょうか。

答えは、日本は侵略するつもりは全くなかったが、日本が防衛のための敵地攻撃を連続したため、敗戦により、侵略と言われるようになってしまったです。

侵略の定義もあいまいで、各国が自由に、自分に都合の良いように解釈して、相手を侵略したと非難します。それを考えるために表をご覧下さい。

日本に留学し、日本の軍隊経験がある蒋介石が、なぜ日本と戦争しなければならなかったのかよくわかります。

自由社以外の教科書で学ぶ生徒諸君は、コミンテルンの意味がわからないと思います。

日本はあの広い支那大陸で日清・日露の二度の戦争経験があります。

いかに大陸で戦争をすることが、物理的にも経済的にも大変かよく知っていました。ですからなるべく戦争をしたくないのが本音です。

戦争をするお金があれば、満州や朝鮮や国内にもっと投資したかったでしょう。

日本の安全保障にとって、満州国朝鮮半島が発展し、経済的に安定することが重要でした。

しかし、諸外国と利害はいっちせず、そうはなりませんでした。

すでにその時、情報戦争と対日謀略戦争に負けていたといってよいのではないでしょうか。

それではおわります。みなさん、さようなら。

「最門司さくらの憂国日記」 第19回 米国の内戦 文化・教育戦争とCRT 北一輝の国家改造法案大綱も日本版CRTだった

CRTとはcritical race thoryの略で「批判的人種理論」と訳されています。

CRTを一言で言えば、人種差別は個人の偏見や偏見の産物であるだけでなく、現在の米国法制度や政策に深く埋め込まれているという唯物論的な考えです。ですからCRTを学び、理解するということは、白人特権、白人至上主義、白人は人種差別主義者である、ということを理解する、つまり言葉を変えれば洗脳するということもできるわけです。CRTは米国で過去10年間の静かなる浸透工作で、もはや公的機関のデフォルトのイデオロギーになっているという人もいます。ダイバーシティ研修プログラム、人事モジュール、公共政策の枠組み、学校のカリキュラムの形で、政府機関、公立学校、教員養成プログラム、企業人事部門に導入されています。あのパトリオットミサイルのメーカー、レイセオン社でもCRT研修が従業員に対して行われています。米国の教育は、各州に教育庁があり、カリキュラムを組んで、各教員はこれを守らなければなりません。カリフォルニア州のように、民主党の知事が運営する州では、積極的にCRTを推し進めています。カリフォルニア州は予算40億円をかけて教師にCRTの授業方法を教え、生徒にはこれを必須科目にしようとしています。しかし、共和党の知事の州では、CRTを学校で教えることを禁じる法律が徐々に成立しています。テキサス州のようにCRTに反対の州では、教員は、授業中CRTの教義に触れなくても、多様性とBIPOC、つまり黒人、先住民のインデイアン、他の有色人種の文化を授業に取り入れながら、授業で州の基準を守ることができるそうです。図のように、共和党の州ではすでに8つの州で、CRTを学校で教えることを禁止する法律が制定されました。さらに9つの州が法律を可決しようとしています。例えば教育委員会に対し保護者が激しく反対している動画が最近youtubeに数多く投稿されています。そして多くの動画の中で、反対する保護者が、共産主義思想を子供に教えるなと発言しているのです。わが国で言えば、過激な日教組教育に保護者が反対して、校長に抗議する場面を彷彿とさせます。文革以後中国から逃れた中国系アメリカ人には、批判的な人種理論は、まさにアメリカ版の文化大革命にみえるようです。

 CRTの本質は、階級闘争史観の焼き直しそのもので、CRTの授業は、子供たちには、人種差別、白人特権や白人優越主義を教え、今の社会制度や法体系は白人有利につくられているから正さねばならないと、あたかも正論を教えるふりをして、実は米国内で白人と非白人の対立を煽るという共産主義者の政治活動、革命活動のように見えているのです。米国の弱点に合わせて、階級の代わりに人種問題を使っているわけです。ここ1年ほど、全国的にKスルー12の学校で「批判的な人種理論」が教えられているといいます。Kスルー12とはKはキンダーガーデンで幼稚園年長、12は6,3,3,で小学校から高校までの期間を指します。今までは大学だけで教えられていたCRTが、いつの間にかKスルー12でも教えられるようになり、そして保護者が反対しているわけです。

それでは、日本はどうでしょうか。戦前、青年将校たちによる2・26事件というクーデター未遂がありました。これは隠れ左翼の北一輝が、国家社会主義を唱えた思想ですが、これも日本向けにアレンジして労働者を天皇に置き換えただけのものでした。純真な青年将校達はまんまと北に騙されたのです。これは北が書いた国家改造法案大綱です。私有財産を制限した天皇中心の革命論です。共産主義の1丁目1番地は私有財産の破壊です。今では、階級も人種も日本国民の分断に利用できません。アイヌも教科書に載って宣伝していますが主流にはなっていません。マルキスト達は、対立を煽りたくてもわが国には、対立をあおる材料がほとんどないのです。そこで、国連を利用し、何とか日本を辱め、誇りを失わせ、与党に罪を着せるようなことを繰り返しています。かつての平和やジェンダー、現在の差別やLGBT、多様性、環境、憲法改正反対、五輪反対、材料が無ければモリカケのように、材料を作り出してまで、煽ることをやり続けなければなりません。米国のバイデン・ハリス政権は、社会・共産主義勢力の選挙協力があって成立したとも言えるでしょう。ですから、表向きは反社会・共産主義の政策はとることができません。つい最近のキューバー市民の反共産主義のデモも、ホワイトハウスは、当初アンチ共産主義のデモではなく、コロナによる経済的困窮によるデモと言っていました。しかし、フロリダ州キューバ移民の声を無視できなくなり、トーンダウンしてきました。共産党アメリカも健在で、BLM同様に堂々とキューバ共産党独裁政府支持です。すでに今のアメリカは、暴力や扇動に訴えない限り、実質的に共産党は非合法ではなくなっているようです。ファーウエイなど中国企業キューバ政府にインターネット遮断、検閲などの技術協力をしています。しかし、元国務長官ポンペイオ氏もCRTについては反対意見を言っています。かれは、元CIAの長官でもありました。そしてなによりもトランプ大統領もCRTに反対をして、教育改革を行ってきました。
 米国の学校の中にも、日教組のような過激な左翼教員もいるでしょう。かれらは、アメリカの歴史の授業で、奴隷制度を強調し、人種差別を糾弾し、さらにアメリカの建国の歴史を改竄することさえ実行しています。歴史的人物像の引き倒しや、モニュメントの破壊、国旗の侮辱、南軍旗の使用禁止などは、その教育成果かもしれません。
 日本では、教科書執筆者と文科省が一緒になって、有名な歴史上の人物を教科書から削除しようとしました。中でも隋王朝と対等外交をした、聖徳太子は、架空の人物で実際には、いなっかったなどとして、聖徳太子のお名前を教科書から削除しようとしました。この企ては阻止されましたが、これからも同じようなことが起こるかもしれません。日章旗昭和天皇を侮辱する動画が芸術などと称して展示することが教職員組合によって開催されています。ウソが明らかとなった、従軍慰安婦支那事変のときの首都占領後の日本軍の暴虐など、今でも一部の教科書に堂々と載っているのも文科省日教組の影響以外考えられません。これらについては説明欄に関連動画のURLを載せています。大東亜戦争の敗戦により、占領軍によって、歴史が全面的に書き換えられてしまいました。その証拠に広島長崎の原爆投下でさも、教科書には国際法違反と自由社以外記述されません。過ちを犯したのは当時のアメリカ政府なのに、なぜ過ちは二度と繰り返しませんというのでしょうか。また、アメリカ副大統領が日本国憲法は我々が書いたのだと演説してもマスコミは無視したままです。今でも子供たちは、日本は、侵略をした悪い国だと学校で教えられています。高度な文明を朝鮮半島経由で日本列島に持ち込んだ弥生人、つまり朝鮮人が、私たちのご先祖の縄文人にとって代わったなどと、とんでもないウソが今でも教えられています。アメリカは移民の国です。先祖は、神を信じ、粗末な入植時代から独立戦争を戦い、その過程には光だけではなく暗い影もありましたが、努力して、今のような豊かな国を作り上げました。ですからアメリカ人は、自国を打倒することよりも改善するという考えを好みます。今後もキリスト教共産主義思想とは相いれない、共存できないことは明白です。いまアメリカは、国を2分する、南北戦争以来の危機に直面しているといえるのではないでしょうか。そしてそれは、わが国でも静かに起こっている文化・教育戦争なのです。

「教科書検定は機能しているか」愛国心を否定する文科省 東大入試日本史に最古の愛国者の名前


 教育基本法第2条五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
 学校で愛国を教えない。
 国を愛する愛国者のことを英語でパトリオットと言います。辞書によればギリシャ語で祖国の意味だそうです。皆さんも、パトリオットミサイルを知っているのではないでしょうか。日本語に直せば、愛国者誘導飛昇体です。システムは、パックスリーとも言われています。わが国のミサイル防衛網の中で、イージス艦が打ち漏らした中国や北のミサイルを、撃ち落とす最後のミサイルです。
生徒諸君の中には、愛国とか愛国者という言葉に抵抗感をもつ人が多いのではないでしょうか。おそらく学校でこのような言葉が忌み嫌われているからではないでしょうか。しかし、アメリカではパトリオットとかパトリオチック、愛国的なということばは、ごく普通に使われています。トランプ大統領もよく演説の中でこの愛国者パトリオットという言葉を使っています。アメリカでは、あなたは愛国者ですかと訊かれて、答えに詰まったりすると、その人は信用されないようです。ノー、いや愛国者ではありませんなどと返事をすると、もう軽蔑のまなざしで、絶対に相手にはされないでしょう。検定合格した自由社の新しい歴史教科書の172ページ側注に、小学校唱歌蛍の光の4番めの歌詞の一部が載っています。千島の奥も、沖縄も、やしまの内の守りなり。これは国境が画定したのを受けて、千島から沖縄までが日本、やしまだと言うことを国民に教える意味がこめられており、国民国家をつくるうえで重要なことでした。このように記述されているのですが、文科省の検定調査官は、断定すぎる、生徒が誤解するおそれがある表現としてクレームが付いたそ
うです。これも文科省が、愛国的なことを嫌うひとつの現れではないでしょうか。自由社は、学習指導要領の、近代日本建設の中にある、近隣諸国との国境画定という単元の中の記述で、この小学唱歌は、樺太・千島交換条約が結ばれて6年後、沖縄県が置かれて2年後につくられた唱歌であり、ごく自然な感覚である。このような検定意見は、いち早く国境問題を唱歌に取り込んだ明治政府や、今も北方領土竹島など領土問題に取り組んでいる政府の姿勢をも否定するようなものであると反論したそうです。もっとも、検定合格後、この部分は修正されたかというと、何も変わっていません。つまり言いがかりだったのです。文科省がこれですから、学校でも、愛国、愛国者などの言葉は嫌われているのでしょう。しかし、皆さんがこれから海外に出て行ったときは、先ほどお話ししましたように、アーユー、パトリアット?によく注意してくださいね。間違ってもノーなどといわないように。ついでに日本最古の愛国者は誰だったのか、みなさん知っていますか。平成23年の東大の日本史の問題に、この人の名前が出たことがあります。以前にもとりあげましたが、説明欄にURLを書きましたので、詳しくはそちらの動画をご覧ください。 
皆さんは日本最古の歴史書古事記、日本書記なのは学びましたね。この日本書記の41代持統天皇のところに次の記述があります。 朕、嘉厥尊朝愛国・賣己顯忠
朕(われ)、厥(そ)の「朝みかど」を尊び、国を愛(おも)ひて、己(おのがみ)を売りて忠(まめなるこころ)を顕すことを嘉ぶ。
このことを分かり易く説明していますのが、九州八女市のホームページです。博麻が博麻呂になっています。大伴部博麻呂の碑
大伴部博麻呂は、661年白村江はくすきのえの戦いで唐の捕虜になりました。唐の日本出撃準備を知った彼は祖国に知らせるために自分を奴隷として売り、そのお金で仲間を帰国させ国に知らせました。30年後帰国した博麻呂を持統天皇がその功績をたたえたと『日本書記』に記されています。
この大伴部博麻持統天皇から愛国者とたたえられたのが690年(持統4年のことです。大伴部博麻は特別な人や役人ではなく、ただの兵士です。しかし帝はただの兵士の苦労を直接労われたのです。これは、例外中の例外で、最初にして最後のことでしょう。このころすでに日本人が国家というものを意識していて、国をおもうといういみで愛国という漢字を当てているのです。わが国が外交文書に日本という国号を用いるようになったのも689年と自由社は記述しています。少なくともこのころすでに、敵は唐と新羅の連合軍で、国民の中に国を愛する愛国者がいたことは確かでしょう。朝廷も国防体制を整えるため、九州に大宰府という出先機関を置き、軍事と外交の拠点としました。今でいえば軍事拠点で、要塞や城のようなものだったでしょう。対馬や九州に防人を配置し、西国の各地に山城を築きました。さらに都を海に近い難波から近江に移し、中大兄皇子は、そこで天智天皇となります。天皇はこうごねんじゃくと呼ばれる初めての全国的な戸籍をつくり、国内の改革をすすめました。つまり唐と新羅の連合軍がいつきても戦えるように準備をしたのです。いまから1358年も前のことです。今日本の北方領土竹島は不当に外国に侵略されて奪われたままです。また尖閣諸島にも中国が自分のものだといって侵略し始めています。今は海上保安庁が、なんとか歯を食いしばって、島と漁民を守っている状況です。自衛隊アメリカなどとさかんに合同演習をしています。天智天皇のころの大変な状況と同じはずですが、マスコミが中国に忖度して敢えて報じないせいか、国民の多くはまだ平和だと勘違いしているようです。いや勘違いではなく、見て見ぬふりをしているのかもしれません。ところで持統天皇は、女性の天皇でした。生徒の皆さんは聖徳太子が、最初の女性天皇33代推古天皇の摂政だったことを習ったとおもいます。そのあと女性天皇は、35代皇極天皇、37代斉明天皇と続き、4方目の女性天皇です。持統天皇は40代天武天皇の皇后様でした。天武天皇崩御された後、天皇の地位につかれたのです。ここで大事なことは、女性天皇の後は必ず、例外なく、天皇の男系男子が天皇の地位におつきになられます。例えば推古天皇のあとは、男子の舒明じょめい天皇斉明天皇のあとは、男子の天智てんじ天皇持統天皇の後は文武天皇です。ですからお父様、そのまたお父様と遡り、途中女性天皇がおられても、万世一系、男系継承が2000年以上守られているわけです。ところでいかにもご皇室を守るようなふりをして女系天皇女性天皇、皇女などを訴えて、皇室をないがしろにしたい人も、ネット上に見られます。例えば、皇室は、天照大神からはじまる女系一族ですなどとウソを宣伝したり、皇統は、男系継承だけではなかった、女系継承もあったといい、天照大神の次の天皇は、あめのおしほみみの、みことで、これは女系継承だと、まちがったことを、専門用語をつかい、あたかも専門家気取りで宣伝しています。たかが100年も生きられない人たちが、女性天皇とか女系天皇とか皇女とかを喧伝して、わが国の国柄を壊そうとしているのは不思議でもなんでもありません。まさに共産主義思想です。日本をキャンセルして壊したい人達ですが、その数はごく少数です。共産党立憲民主党の支持率を見ればわかります。両党合わせても僅か5.1パーセントのレベルです。世界には196の国がありますが、共産主義国と言われる国は、たった5カ国しかありません。北朝鮮、中国、キューバラオスベトナムです。私たちは、世界でパトロオットという英語が何の偏見もなく、普通に使われていることを理解し、あなたは、愛国者ですかと質問されたとき、躊躇なく、Yes!と応えられるようになりたいものです。一寸でも間があいてハイと答えれば、信用されないのが世界標準ですよ。それではみなさん、さようなら

「最門司さくらの憂国日記」【手奇塾】感動の演説 Never Ever Give Up! 本当のアメリカとは、トランプ大統領とは

トランプ大統領演説      Never Ever, Ever Give up 

2017年5月 バージニア州リバテイ大学

 Years from now, some of them may look back and ask themselves whether they made the right choice whether they've made the most of the opportunities, they've been given.

今から数年後、人々の内誰かが自分自身を振り返って自問するかもしれない。自分は正しい選択をしたかどうかと。与えられたチャンスの多くを生かしたかどうかを。

Together we have the same mission. Over the course of your life, you will find that things are not always fair. You will find the things happened to you that you do not deserve and that are not always warranted.

私たちは、皆一緒に同じ使命を持っています。皆さんの人生の過程で、物事は、いつも公平とは限らないとわかるでしょう。皆さんには相応しくないことや、常に保障されているとは限らない物事があなたの身に降りかかるのが分かるでしょう。

But you have to put your head down and fight fight fight. never ever ever give up. don't give in don't back down and never stop doing what you know is right.

しかし、みなさんは、頭を低くして(戦闘態勢で)戦いなさい、ファイト、ファイトだ。どんな時でも絶対に降参してはいけない。負けるな、逃げるな、正しいとわかっていることの実行を決して止めてはいけない。

Nothing worth doing ever. Ever, ever came easy, and the more righteous your fight the more opposition that you will face. In your hearts are inscribed the values of service sacrifice and devotion.

価値あることをするのは、どんなときでも、どんなときでもだ、簡単にできるものではない。

皆さんの戦いが正しければ正しいほど、激しい抵抗に合うでしょう。皆さんの心の中には、奉仕の価値と犠牲と献身が刻まれているのです。

Now you must go forth into the world and turn your hopes and dreams into action.

America has always been the land of dreams because America is a nation of true believers!

さあみなさん、外の世界に行かねばなりません。そして皆さんの希望と夢を行動にかえなければいけません。アメリカは常に夢がある国です。なぜならアメリカは真の神の信徒の国家だからです!

When the pilgrims landed at Plymouth they prayed. When the founders wrote the Declaration of independence, they invoked our creator four times. because in America, we don't worship government, We worship God.

外国からの巡礼者達が初めてプリマスに到着したとき、彼らは祈りました。建国者たちが独立宣言書を起草した時、我々の神を4回引用しました。ならばアメリカでは、私たちは政府ではなく、神を尊崇するからです。

It is why our currency proudly declares.. ‘In God We trust’  and it is why we proudly proclaim that we are one nation under God. The story of America is the story of an adventure that began with deep faith, big dreams, and humble beginnings.

なぜならば、私たちの通貨が「神に誓って」と誇らしく宣言しているからです。また、私たちが神のもとに一つの国家であると言うことを高らかに宣言しているのです。アメリカの物語は、深い信仰と大きな夢、そして粗末な入植時代から始まった冒険の物語です。

The next generation of American leaders, Never Ever Give up!  There’ll be times in your life you'll want to quit, never quit, never stop fighting for what you believe in and for the people who care about you. Carry yourself with dignity and pride.

アメリカの次世代の指導者は、どんな時でも絶対に諦めない! 人生の中で、辞めたいと思ったりする時があるでしょう。でも決して辞めてはいけない、戦いを止めてはいけない。皆さんが信じているもののためにも、あなたがたを気遣う人たちのためにも。尊厳と誇りをもって進みなさい。

Demand the best from yourself. The more people tell you it's not possible, that it can't be done, the more you should be absolutely determined to prove them wrong!

Treat the word ’impossible’ as nothing more than motivation.

自らに最善を尽くすよう要求しなさい。皆さんに、それは不可能だ、それはやり遂げることはできないと言う人が多ければ多いほど、みなさんは、彼らが間違っていることを証明する決心をますます強くしなければならない。「不可能」という言葉は、よしやるぞというきっかけ以外何ものでもないと扱うべきです。

Relish the opportunity to be an outsider. The more that a broken system tells you that you're wrong the more certain you should be that you must keep pushing ahead. You must keep pushing forward and always have the courage to be yourself.

不可能という人たちの部外者になるチャンスを喜びなさい。こわれたシステムの人たちがみなさんに間違っていると言えば言うほど、みなさんは、前に前進し続けなければならないことを

より自覚しなければなりません。みなさんは、前進し続けなければなりません。また、常にぶれない勇気をもっていなければなりません。

America is better when people put your faith into action. Pray to God… and follow his teachings. Today each of you begins a new chapter as well. When your story goes from here it will be defined by your vision, your perseverance, and your grit!  

アメリカは、人々が祈りから行動に移すとき、よりよい未来があります。神に祈りなさい。そして

導きに従いなさい。今日、皆さん一人一人が、同じように新しい物語の1章を始めます。ここから物語がスタートし、それは皆さんの未来を見る目とがんばり、そして肝っ玉しだいです。

You will build a future where we have the courage to chace our dreems no matter what the cynics and the doubters have to say. You will have the confidence to speak the hopes in your heart and to express the love that stirs your soul, as long as you have pride and your beliefs, courage in your conviction, and faith in God.

みなさんは、皮肉屋や疑い深い人々が何を言おうとも夢を追いかける勇気をもつ未来を作り上げるでしょう。心の中の夢を語り、魂を揺さぶる愛を示す自信を持つでしょう。誇りと信念、確信の中にある勇気、そして神への信仰を持ち続ける限り。

Then you will not fail. As long as America remains true to its values, loyal to its citizens, and devoted to its creator… then our best days are yet to come.

そうすれば、皆さんは、失敗しないでしょう。アメリカが、真実こそがアメリカの価値であり、国民に忠誠を誓い、また、神を信じている限り・・。私たちの最良の日がやってくるのです。

May God bless the class of 2017. May God bless the United States of America!.. and I just want to let you know that God blesses you and I want to just say you are special in every way! God bless you and God bless America! Thank you very much.

2017年の在校生に神のご加護を、アメリカ合洲国に神のご加護を! そしてちょっと言わせてください。皆さんに神の祝福を、そして皆さんは、それぞれの人生で特別な人達です。皆さんとアメリカに神の祝福を・・・ありとう

「教科書検定は機能しているか」第8回は、教科書は、万世一系も縄文時代まで遡ることも書かないです。

6月中頃オリンピック・パラリンピックの表彰式に、ボランテイアの方々が着る衣装のデザインについて、一部の方々が、和服の方がよいとか、朝鮮風とか非難をされました。しかし、この縄文時代土偶と比べるとどこか似ていて、洗練されたすばらしいデザインのような気がしてきます。そして北海道、東北地方の縄文遺跡群が世界遺産に登録されそうです。中でも有名な山内丸山遺跡は、今から5500年から4000年前に栄えた共同体と言われています。これは、三内丸山遺跡で発見された柱の跡から計算、復元した建造物です。地元の説明では物見やぐらといっていましたが、神殿の可能性の方がはるかに高いでしょう。神様は太陽かもしれません。鋼鉄よりも硬いヒスイに穴を開ける世界最先端の技術を持ち、600kmも船で移動し、栗を大量に管理し、イモ、豆、エゴマ、ヒエ、ひょうたんを栽培していたことが分かっています。栗を入れたポシェットや裁縫針も発掘されています。煮炊きをした縄文土器に付着した遺物の解析から、豊かな食生活をしていたことも分かっています。今では考古学会でも、縄文時代に稲作が始まったことが認められているというのに、どの教科書も自由社以外、申し合わせたかのように、稲作は弥生時代に、朝鮮半島から移り住んだ人々によって、九州北部に伝えられ、やがて東日本にまで広がったと記述されています。とんでもない、イネのDNA解析により朝鮮半島経由ではないことがすでに分かっています。水田稲作が早まったので弥生時代の始まりを早めているようです。縄文土器でコメを煮炊きしても弥生時代とは笑えますね。弥生時代には金印や、邪馬台国卑弥呼の話が、必ずと言いてもよいほどでてきます。ところが、日本最古の歴史書古事記や、日本書記に書かれている、出雲の国譲りや天孫降臨神武天皇のお名前は出てきません。これらは神話としてごく簡単に記述されている程度です。これでは、縄文、弥生時代や、神話の記述をいくら読んでも、いつ、誰が、日本国を統一したのか分かりません。なぜ天皇というのかも児童、生徒諸君は、学校で教えてもらえません。自由社が「日本の皇室は、神話の時代から現代まで続く世界で最も古い王朝です」と記述すると、文科省から神話が事実であるかのように生徒が誤解するとして、検定意見が付くのです。これは教科書を書いている方々が、反天皇、反ご皇室の思想をもっているからではないでしょうか。文部省もです。日本で最も古い歴史書が、古事記日本書紀です。712年に古事記が完成し、720年に「日本書記」が完成しています。魏志倭人伝にかかれていることは、事実であるから、これ以降が日本列島の歴史で、それ以前は、たとえ古事記日本書紀に書かれていても歴史的事実ではない、神話であるとして、その神話でさえも詳しく教えないようになっているようです。我が国の歴史学者は、中国の史書は信用できますが、日本人が書いた記紀は、信用できないとおっしゃっているようです。これもGHQによるキャンセル・カルチャーが今でも尾を引いているのではないでしょうか。しかし、魏志倭人伝に書かれていることが事実かどうか、何も証拠がありません。邪馬台国や、卑弥呼が存在した証拠も、何処にもありません。魏志倭人伝には、倭の国には邪馬台国という国があり、30ほどの小国を従え、女王の卑弥呼がこれを治めていたと記されていました。邪馬台国大和国で、卑弥呼アマテラスオオミカミであったとすれば、なるほどと腑に落ちるわけですが、その証拠は、今のところ何もありません。そもそも倭は背が低く背中が曲がっているという蔑称です、邪馬台国の邪も卑弥呼の卑も卑しい漢字を当てています。卑弥呼を王と見下しているわけです。後の宋の歴史書にも倭の王たちが朝貢して、臣下、つまり属国となっていたことが記されていました。このころの倭国は、華夷秩序にがっちりと組み込まれているわけです。ところが後でお話しします、古墳時代のワカタケルおおきみ、雄略天皇のころには、日本の統一が完成し、国力も増大し、情報を得るために朝貢はしても中国王朝に柵封されない国、臣下にはならないという不臣の朝貢国となります。この時以後大和の国は、柵封体制からはずれて独立国となったのです。

では、大和の国とはなんだったのでしょうか。記紀に出雲の国の国譲りの話や、天孫降臨の話、神武天皇ご東征の話がでてきます。記紀には初代天皇がご即位された年が、今から2681年前の1月1日と書かれています。新暦の1月元旦です。126代今上陛下からさかのぼりますと、誰かが初代天皇様で、縄文時代の終わりごろまでさかのぼります。ですから日本は、ダントツで世界一古い国なのです。今では大勢の研究者が10代崇神天皇の実在を、認めていますから、9代さかのぼった、初代神武天皇の時代は、紀元前250年頃と考えることもできるのではないでしょうか。紀元前660年も250年も大きな違いはないでしょう。では天孫降臨という、高間が原のあまてらすおおみかみが、地上を支配されたのはいつごろでしょうか。初代天皇からアマテラスオオミカミまでさらに5代遡るとして200年くらいとしますと、やはり長い長い縄文時代の終わりころとしかいいようがありません。その天孫降臨の少し前に、出雲の国のオオクニノヌシの神の国譲りがあるわけです。いうまでもなく、今上陛下のご先祖は、アマテラスオオミカミです。出雲のオオクニノヌシの神はオオミカミのド親せきです。縄文時代の終わりころ、アマテラスオオミカミの命令で、出雲の国が支配下にはいり、その後おおみかみのご子孫が、高天原をお出になられて、各地を支配されたのでしょう。でも従わぬ小さな国もいくつもあったかもしれません。ですから、神武天皇のご東征とか、弥生時代に入ると、12代影行(けいこう)天皇の第三皇子、ヤマトタケルの尊の遠征がありました。古墳時代の、21代雄略天皇の時代で、国内統一が終わったのでしょう、朝鮮半島新羅まで遠征しています。このようにみていきますと長い縄文時代の終わりころ、日本列島の関東から九州まで統一行動が始まり、統一が完了したのが古墳時代の中頃ということになります。これぐらいのことは教科書に書いて教えるべきだと思いますが、文科省は許さないのです。これは、平成12年から13年にかけて出雲大社の境内から発見された巨大な柱。3本1組となったスギの大木です。この柱は、鎌倉時代に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高くなったそうです。この柱の太さから計算されて復元されたのが、写真の神殿です。前に述べました、出雲の国譲りには、巨大神殿の話が出てきます。アマテラスオオミカミの命を受けたタケミカヅチ茨城県鹿島神宮に祀られている)から「国を譲ってほしい」といわれ、大國主神は、引き換えに天皇と同じ立派な宮殿をつくってほしいという条件を出した。それができればそこに静かに鎮まると。記紀にしるされた出雲の国譲りの話にでてくる伝説の神殿も、もはや神話と言っている場合ではなくなりました。天照大神は今伊勢神宮に祀られていますが、出雲に出かけたタケミカズチの神は茨城県鹿嶋神宮に祀られています。そして高天原という地名も鹿嶋市にあります。天照大神高天原におられたのではないでしょうか。天照大神やその子孫の方々は都を高天原から支配しやすい地域にいろいろ移されたのかもしれません。初代神武天皇のときに大和に落ち着いたと考えてもよいのかもしれません。このようなことが神話としてではなく、やがて遺跡の発掘とともに明らかとなって、教科書に載るようになるといいですね。